孫文は何をしたか【前編】

どうもシャオムです。

今回は、中国で辛亥革命を指導した人物・孫文について、考えていきましょう。

もちろんカテゴリで言えば歴史の話にはなりますが、今の国際社会がどんな歴史のうえに成り立っているのかを知ることは、現代の社会を見るうえで超重要です。僕は、大学時代の先生の影響があって、「何かを深く知ろうと思えばその歴史を知らなければならい」という論を信じています。孫文は近代史で鍵を握る一人なので、学んで損はないです。

今回、たまたま歴史秘話ヒストリアNHK)を見ていて、孫文に興味がわいたので、深町英夫さんの『孫文――近代化への岐路』(岩波新書)を手に取ってみました。すると、帝国主義の時代から二つの大戦、そして東西陣営の時代へと続く世界の流れがクリアに見えてきました。そんな孫文が、いったい何をしたのか、中国や世界に何をもたらしたのか。ここをゴールに話を進めていきたいと思います。

今回は、孫文が何をしたか、その概要を見ていきましょう。

1.辛亥革命前の世界情勢

辛亥革命は、1912年に孫文らが清王朝を倒し、中華民国を建てたことを言います。そこに至るまでの過程を確認しましょう。

世界では1882年の墺独伊三国同盟、1907年の英仏ロ三国協商など、軍事・経済の国際関係が緊張していました。

19世紀半ばに日本が開国したことからもわかるように、欧米諸国(列強)の脅威がアジアに及んでいました。

1895年の日清戦争敗北、1900年の義和団事件を経て中国は列強に分割統治されます。

ここで重要なのは、清は漢民族が建てた王朝ではなく、満州人による王朝だということです

200年以上続いた清王朝が、列強に脅かされていたことを背景に、漢民族による民族再興の動きが高まっていたのです。

この漢民族の中心として運動を展開したのが孫文というわけですね。

2.孫文年表(生誕から革命まで)

1866年 広東省で誕生

1879年 ホノルルへ移住

1883年 帰国

1894年 興中会結成

1895年 広州で蜂起するも失敗し亡命

1896年 ロンドンで監禁される

1896年~香港、東京、シンガポールの各地で漢人の結社を結成

    日本、アメリカ、イギリス、フランスでの外交

1912年 南京で中華民国・臨時大総統就任

 

年表からわかるように、孫文は何年もかけて清に対抗するための組織を作り上げ、革命に備えていました。そしてもう一つ重要なのは、漢人による中国をつくるため、積極的に外交し、国際世論を味方につけていたことです。これについては次回も考えます。

3.  孫文の思想

孫文の思想で有名なのは、民族・民権・民生の三民主義です。それぞれ以下のような意味。

民族:中華民族漢民族)による中国建国

民権:今でいう国民主権のようなイメージ。皇帝主権の否定

民生:これが孫文に特有の思想で、土地の国有化、すなわち社会主義的な土地の均等な分配を意味する。

孫文はこの三民主義を理想とした国家をつくろうとしていたんですね。

 

そしてもう一つ重要なのが孫文三段階革命論。帝政を打倒し、民主化を実現するための理想のプロセスです。

第1段階:軍が政治を行い、古い弊害を除去する時代

第2段階:人民に地方自治権を与え、軍が監視する時代

第3段階:軍の権力を解除し、立憲民主主義を確立する時代

この三段階革命論は、一見合理的にも見えますが、著者は、「民主主義を実現するために、独裁の過程を経なければならない」という矛盾を帯びている、と指摘しています。たしかに、逆説的ですね。

 

今回は孫文概論に終わることにして、意見や解釈は次回に回したいと思います。まとめると、

孫文漢民族を結集し、満州人の清に代わる、中国初の民主国「中華民国」を建てた。

以上で前半は終わりです。

 

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孫文――近代化の岐路 (岩波新書)

孫文――近代化の岐路 (岩波新書)

  • 作者:深町 英夫
  • 発売日: 2016/07/21
  • メディア: 新書
 

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