天安門事件から31年。そもそもどんな事件だった?

どうもシャオムです。

今日6月4日で、天安門事件から31年になるそうです。

僕は3年前に北京を訪れた時、天安門に行ったことがあります。

重大な事件だったことは歴史の常識として浸透していますが、詳しく知らない人もいるかもしれません。そこで今回は概要をまとめてみたいと思います。

 

事件が起こったのは1989年。

当時、ソ連ではミハイル・ゴルバチョフ民主化を推進し、社会主義国民主化の機運が高まっていました。

中国では鄧小平らの保守派と、民主化を進める共産党総書記・胡耀邦の勢力が対立しました。そんな中、胡耀邦は総書記の座を追われ、89年4月に病死します。民主化に積極的だった胡耀邦への追悼として学生らが北京で集会を開き、デモが広がっていきます。

さらに5月にはゴルバチョフが訪中し、国内の民主化への動きがさらに加速します。

そんな中、共産党トップになっていた鄧小平は、デモを取り締まるべく戒厳令を出します。学生運動に同情的な態度をとった党幹部を解任したりもします。メディアも厳しく統制されました。

そして6月4日、天安門事件が起こります。民主化をめぐり、天安門広場でデモ隊と軍が武力衝突しました。死者は共産党の発表では319人となっていますが、実際は定かではありません。この事件を、共産党による市民の虐殺とみる見方もありますが、実際には双方による武力衝突であり、共産党の一方的な武力行使とみるのは偏っているかもしれません。

 

天安門事件が当時の世界に衝撃を与えたことは、想像できると思います。この年の11月には、ベルリンの壁が崩壊しています。民主主義、また東西冷戦の歴史において重要な意味を持つこの時代について、私たちも学ぶべきだと思いました。

中国と世界が新たな局面を迎えている今、改めて歴史を学ぶ意義が大きくなっています。

 

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