現代の若者が宗教をやる方法

どうもシャオムです。

 

このところは学びや学校に関する投稿が多くなっていましたが、今回は視点を変えて、宗教について考えてみたいと思います。特に日本の若い人たちの多くは、あまり考えたことのないテーマではないでしょうか。しかし宗教は、依然として社会で大きな機能をしています。

 

まず、何をもって宗教と呼ぶのか。今回は、宗教の本質を「信仰」と「流布」の二つと考えて話を進めます。「信仰」が宗教にとって本質的であることは想像しやすいと思いますが、「流布」すなわち広めることが本質だという発想は、少し難しいかもしれません。しかし、宗教の多くは人々を救済するという目的をもっている性質上、教義にも「広めてナンボ」という考えがあるのです。良い教えを信じることと広めることはセットになっているということですね。

 

この「信仰」と「流布」を実践するために、人々は宗教団体を結成し、社会に影響を与えてきました。しかし現代の日本では、少子高齢化とグローバルな「価値の相対化」によって、宗教を実践する若者が少なくなってきているのではないかと思います。このような状況で、今後宗教の教えを継承し、ひいては発展させていくためには、何が必要なのでしょうか。

 

現代の若い世代が伝統的な宗教を実践しにくくなっている理由、それは、変化や多様性を受け入れる姿勢と宗教団体の中央集権制がマッチしていないからです。

 

現代の若者は、変化を受け入れ変化に対応しない限り、社会で生きていけなくなることに気づいています。一方の宗教団体は、宗教の教えや伝統的な「成功体験」を守るため、中央集権的な体制を解除できずにいます。そこで、変化に敏感な信徒たちは、自分たちの価値観と宗教の伝統ルールの間にギャップを感じ、先代がやってきたような「信仰」や「流布」をできなくなってきます。その結果、若者が宗教から離れ、伝統的な宗教を信じてきた人たちは若者たちを「信仰心がない者」とみなします。これでは伝統宗教の未来はありません。

 

しかし、社会や経済の専門化、個別化、分担化が進む現代では、人々はますます自らの拠り所となるコミュニティを欲していることもまた確かだと思います。本来であれば、宗教という、価値観や信条に基づくつながりが、人々にプラスの作用をもたらすことが望ましいといえるでしょう。それこそ宗教の果たすべき役割ではないかと思います。

 

では、信仰心はあるのに伝統的な宗教団体で活動できなくなった現代の若者が、宗教を実践する方法はどこにあるでしょうか。

それは、同じような「信仰心はあるけど、組織がなあ」と思っている人たちと組んで、組織から独立したインフォーマルな草の根のコミュニティを作ることです。宗教は実践したいけど、組織のやり方は嫌という人が、宗教をできる方法はこれしかないと思っています。そしてこれは決して、組織と対立するという意味ではありません。たとえば、自分たちの草の根のコミュニティに、新しく信仰をしたいという仲間が加わったとしましょう。その仲間が、実際に組織の中を見に来て、気に入ったなら入ればよいというだけの話です。中央集権的な組織は往々にして、組織に入れることを目的化します。本当に信仰と流布を実践したければ、草の根のコミュニティを中心にし、内・外の壁を取っ払った方が良いです。信徒・非信徒のような区別は、中央集権的な組織運営のため以外なにものでもありません。

 

本当に人のためになる宗教は、こうやって草の根から広がるコミュニティによって、息を吹き返すのではないかと思います。

 

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