現代の子供たちの人間関係について

どうもシャオムです。

今回は、現代の子供たちの人間関係について考えていきます。子供たちにとって典型的な人間関係の問題といえばいじめですが、今、いじめはどうなっていて子供たちは何で悩んでいるのかに思いを巡らしたいと思います。

 

まず、伝統的な日本のいじめのパターンについて考えてみます。いじめの原因としてよく聞かれるのが「みんなと違うこと」ではないでしょうか。クラスでみんなと違う行動をするなど、大多数から外れていることがいじめの原因となります。特に日本では、周りと同じであることを強いる空気があると言われ、「変わった人」にとっては生きにくい社会だといえます。実際に僕が小中学校のときに起こっていたいじめは、そのような「違い」がもとであったように思います。

 

しかし、最近、小中学生と接していて感じるのは、彼らにみんなと違う子をからかったり、否定したりするような雰囲気はないということです。彼らに学校の話を聞くと、クラスの子の言動に腹を立てたという話や不思議な行動をする子の話はよく聞きます。たしかに子供たちにとって、「違い」が何らかのストレスであったり、注目の的であることは変わりません。しかし、そのような話をする彼らの口調は、攻撃的なトーンや、からかうようなトーンを含んでいません。それは、彼らにとって「違い」は気になるものではあるけれども、それによって人格を否定するものではないということでしょう。というよりも、自分と違う人たちにあまり興味がないと言った方がよいかもしれません。

 

社会学者の土井隆義さんは、現代の子供たちは自分たちのグループ外とのコミュニケーションをやめていると指摘しています*1。価値観が多元化した現代において、特定の他者を排除する態度は強い批判の対象となりました。過去の日本なら「なんかムカつく」という理由で攻撃していたのが、今は多くの人が慎むようになっています。その結果、コミュニケーションのとりづらい相手とははなから関わらないという風潮が強まり、人間関係の固定化が進みました。

グループ外との関わりをもたなくなった子供たちは、その分グループ内の人間関係に気をつかうようになりました。仲間の気分を害さないようにという配慮が最優先され、おたがいが配慮しあうことでグループが維持されています。これは大人の社会にもある程度浸透していることではないかと思います。

 

では、このような人間関係の中で、いじめはどこから始まるでしょうか。昔の社会では、多くの子供たちの振舞いの基準は「みんなと同じであること」でした。「普通」から外れずに生きることが自分の身を守ることだったからです。多様性が認められる傾向にある今、子供たちは「身近な友達に受け入れられるか」を基準に行動しています。つまり、クラス全体になじむことよりも、特定の個人に認められるかどうかを気にして生きているのです。個性をある程度認めようと雰囲気になった反面、子供たちは身近な人間関係に拘束されることにより、新たな苦痛を感じることとなりました。

このように考えると、人間関係の問題は「大多数が1人を攻撃するいじめ」から「個々の人間関係における問題」へと変わってきているのではないでしょうか。傷ついている子は大人から見えずらくなり、他のコミュニティとの接触がなければその子が1人で悩まなくてはなりません。子供社会の問題として典型的ないじめが重大であることには変わりありませんが、子供たちを救うには、新しい閉塞的な人間関係に生きる子供たちを解放する方法を考えなければなりません。

 

以上、いじめから少し視点を変えて、子供たちの人間関係を考えてみました。自分の人間関係に置き換えて考えると、イメージがわきやすいのではないでしょうか。

 

 

 

*1:土井隆義(2009)『キャラ化する/される子どもたち』岩波書店

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