思考の練習ノート

どうもシャオムです。

このブログの大きなテーマが「学び」、そして僕にとって学びの中の大きな要素として「思考」があります。中学生くらいから、ものの考え方についてはかなり意識を持っていました。今回は、思考の練習となるような問題がいくつか入った「思考の練習ノート」を作ってみました。本来はそれぞれの問題の下に余白があるだけですが、この記事では各問の後に解説をつけています。思いついたままに書いているので、もっと良い問題の設定のしかたはあるかもしれません。ともあれ、いろいろな物事を考えるヒントにしていただければ幸いです。


思考の練習ノート

1. あなたが日常的にしていることの中で、やめたくてもやめられないことについて。あなたがそれをやめられないのはなぜですか?


まずは自分が組み込まれている仕組みに目を向けるための問題です。タバコをやめられないとかなら単に依存しているという問題ですが、もう少し広く考えてみてください。あまり好きではない人との関係をやめたい、学校に行くのをやめたい、家族と一緒に住むのをやめたいなどでもいいですし、すぐ怒ってしまうのをやめたいなど前向きなことでもいいです。大切なのは、できるだけ深く、広く考えていくことです。たとえば仕事をやめたいのなら、食っていくためにやめられないという単純な理由ではなく、なぜ他の仕事では食っていけないのか、なぜ他にやりたい仕事がないのか、と思考を進めていきます。


2. 中学または高校時代、嫌いだった科目についてです。嫌いな科目がなかったら、特段に好きではなかった科目でも良いです。あなたがその科目を勉強させられていた理由は何ですか?


問1に引き続き、仕組みを考える問題です。この問題では特に、「学校」や「国」など公の仕組みについて考えることがねらいです。これは僕が塾で子どもたちに投げる質問でもあります。思考を進めていく例としては、国がその科目を勉強させることを決めている→なぜ国はそれを勉強させるのか→その科目は歴史上いつから教えられているのかといった具合です。もちろん、その科目を学ぶことにどういう価値があるのか、という視点で考えいくのも非常に有益です。この場合は、学問の価値について考えが深まるのではないでしょうか。


3. 「女性は結婚して子どもを産むべきである」という考えは間違っていると思いますか?


これは「正義」に関する問題であり、かつ自分と他者との関係に関する問題でもあります。今の時代、多くの人がこの考えは間違っていると言います。一方で、この考えは間違っていないという人もいます。第一に、これは社会全体として間違った思想なのでしょうか?誰もがこの考えを持つべきではないのか、認められるものではないのかという問題ですね。第二に、これは社会全体で合意をするべきことなのでしょうか?人権が認められるようになった結果、「あなたは自由だから、こっちの自由には口を出すな」という風潮が強くなりました。人の自由には口を出すべきではないのでしょうか?もし、そうだとすると、社会が「こうしなさい」ということはすべて悪なのでしょうか。


4. あなたが今日誰かと話した場面を思い出してください。もしあなたが、あなたと話していた相手の人だった場合、あなたの質問に何と返し、あなたの言ったことに対してどう感じるでしょうか。


これは非常にシンプルですが、相手の立場に立って考える問題です。自分を客観視することは、しばしば役に立ちます。自分が余計なことを言っていないか、などネガティブな方向で考えるのもありですが、もし○○と言っていたらどうだっただろう、と前向きに考えるのが良いです。物事がうまくいかないときは、決まって想像力が足りていないものです。


今回は4問出題してみました。普段の自分にはない思考のしかたが発見されるかもしれません。僕がこんな風に、考え方や視点を大事にするのは、自分を楽にするためという理由が大きいです。人間関係で悩んでいたとき、自分の短所や相手の嫌なところにばかり気がいくと、どうしても気持ちが重くなります。そんなとき、この問題は自分や相手というよりも、この組織の構造に問題があるな、という捉え方ができれば、気が楽になります。だから僕にとって思考は、なにも問題の根本を解決するためばかりではなく、自分の心の処方箋みたいなものでもあるのです。

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