器用貧乏にならないために

どうもシャオムです。

以前、「専門性か教養か」という記事を書きました。そこでは、大幅にかいつまんで言うと、本来専門性を活かすのは教養であるという話をしました。いろいろな能力を持っている「多才」な人は、ある意味では多くの種類の専門性を持っているといえます。それらの専門性を生かすも殺すもその人次第なのですが、せっかくの能力が生かされないと、多くの才能があっても器用貧乏ということになりかねません。今回はまた、専門性を活かすためにはどうすれば良いかを考えてみましょう。

専門性というと、その道で仕事をして身に付く高度な能力というイメージがありますが、広い意味で、「みんなができるわけではないけど自分にできること」と捉えてみましょう。ゴルフができるとか、映画をたくさん知っているとか、何でも良いです。たとえば僕なら、最近曲を作っているので、それを例にしましょう。曲を作れるという能力を活かす方法は何でしょうか。いま、経済的な価値を持たせる、すなわち作曲する能力をもって儲けようと思ったとします。そのために必要なことは主に2つです。1つは、コンテンツの質を上げること。もう1つは、自分のコンテンツを経済の仕組みの中に入れることです。このうち、コンテンツの質を上げるのは、イメージしやすいでしょう。とにかく良い曲を作ればいいのです。ただこれは至難の業であり、曲の質のみで本当に稼げるのは恵まれた一握りの人たちだけです。つまり、専門性をひたすら磨くだけで稼ぐことは難しいということですね。一方、「自分のコンテンツを経済の仕組みに入れる」とは、要するにマーケティングです。自分の曲をどうやって人に売るか、という戦略に関することですね。これは、マーケティングの能力という新たな専門性を必要とします。つまり、一般人が自分だけで曲を作って儲けようとするならば、作曲とマーケティングの両方の能力を持っていなければいけないということです。

これらの2つの能力を手にすれば、一応は作曲でお金を稼げるようになります。しかし、これを継続し、さらに儲けを増やそうとすると、より高度なマーケティング力に加え、もしかしたら人をマネジメントする力とか、新しい何かが必要になってくるかもしれません。つまり、そこそこの専門性をたくさん持っていたとしても、それぞれの価値を活かし続けることは簡単なことではないということです。

このように考えると、能力がたくさんあるということはそれだけ価値がありますが、長い目で見れば、一つ一つの能力を伸ばすことの方が重要かもしれません。何かで圧倒的な能力をもってすれば、たいていは誰かがいずれその能力に目をつけ、活かしてくれると思うからです。これは儲けるという観点だけではなく、人の役に立つという点でも同じです。上杉謙信は、「十年一剣を磨く」と言ったそうですが、まさにその忍耐力や熟練度に強さがあるのだと思います。やはり、自分の強みを磨き続けることは大事ですね。

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