学校を民主的に

どうもシャオムです。

 日本若者協議会の代表をされている室橋氏が、9日にこんな記事を書いておられました。協議会のメンバーが文科省に「校則の改正プロセスの明文化」についての提言を出したというニュースです。これはぜひ実際に読んでいただきたい。

校則の改正プロセスがなぜ重要かというというのは一旦さておき、この高校生や大学生の取り組みに感動したのは、次の点からです。

・生徒に「生徒が声を上げて学校が変わるか」などのアンケートを実施してデータをまとめている。

有識者や教員にヒアリングを行っている。

・実情を報告するだけでなく、「校則の改正プロセスの見直し」という具体的な解決策をもって提示している。

以上のような内容から、読んでいて「お、これは」と思い、今回記事にしました。

 

では、本題にいきましょう。

校則の改正プロセスがなぜ重要なのかは、室橋氏の議論を読んでいただければ明快かと思います。日本の子どもたちは、「自分たちに校則を変える力はない」、「声を上げたところで、学校側に取り合ってもらえない」という無力感に苛まれている。これは、自らが社会の建設者であり主体者であるという自覚を失わさせ、市民としての資質を大きく損ねる元凶となっている。ざっくり言うと以上のような感じです。

校則の問題というと、単に学校運営の問題と捉えられがちです。校則を守らない生徒がいる。でも守らせないとみんなが困る。とはいっても生徒の意見も聞くべきだという議論です。はたまた、なぜ存在するのかわからない「ブラック校則」と呼ばれる校則に対して、学校が批判され、それにどう対処していくかという問題です。これらは確かに、当面の学校運営をどうしていくかという点で重要な問題です。

しかし、日本若者協議会がやろうとしていることは、そんな次元の話ではありません。「生徒が校則を変えられない」という現状を、「民主主義社会における欠陥」と捉え、市民育成のための障害と位置付けているのです。つまり、校則の問題は単に校則の問題なのではなく、健全な民主主義国家を作り上げていくための教育改革という、社会次元、政治次元、またそのための教育の次元の問題と考えているのです。

世の中のルールは何に基づいているかというと、法律です。私たちは何か問題が起こると、法律に照らして処理することができ、また法律に従うということが、一つの行動規範になります。そのような重要な意味をもつ法律は、国民の代表である国会議員が議論して作成します。そして、法律が人間の作ったものである以上、もちろん時代の変化とともに、法律に不具合が出てきます。不具合が出たら、改正するためのプロセスは、明確に決まっています。

しかし、協議会の調査によると、校則の改正プロセスというのは、明示されていない学校が多いということがわかりました。つまり、ルールが存在するのに、その組織の構成員である生徒が、ただルールに従うだけの存在であり、ルールを作ったり変更したりすることができないという状態なのです。これは、極端にいえば独裁政と同じシステムであり、民衆はそれに従うか、革命を起こすしかないということです。

学校というのは、子どもたちにとって、学ぶ場であり遊ぶ場であり、他にもさまざまな意味を持つ場所です。学校を一つの組織として見れば、生徒一人一人はその重要な構成員です。学校は、子どもたち全員が所属する組織といえます。ならば、生徒が主体的に学校づくり、いわば学校の政治に関わることによって、政治に対する主体的な態度は身につくものでしょう。校則の改正プロセスを見直すことは、このように重大な意味を持つのです。

f:id:honmadesukate:20200710151723j:plain