【連載小説】『クアラルンプール 』〜3日目(後編)〜

 シャオムとアンビは、ミュージアム・ネガラ駅から鉄道に乗り、KLCC駅で降車した。マレーシアのシンボルである、「ペトロナス・ツイン・タワー」を訪れるためである。

 2人は博物館見学でお腹が空いたので、KLCC駅のビルにあるレストラン街で昼食をとることにした。

「今頃、あの校外学習の子どもたちも、みんなでランチを食べているのだろうか」

 などと、シャオムは思っていた。

 駅ビルのレストラン街にはさまざまな店が並んでいたが、シャオムは、長い旅行のどこかで、あえて日本食を食べたいと思っていたので、ラーメン屋に行くことを提案した。マレーシアで展開している日本食が、日本のものと同じなのか、違うのか、興味があったからである。これにはアンビも了承した。

 「イラシャイマセ!ゴユクリドゾ!」

 席に通されると、お冷やの代わりに冷たい緑茶が運ばれてきた。懐かしい味がする。2人は「豚骨醤油」を食べて、この店でゆっくりしていた。結局のところ、ほとんど日本で食べるラーメンと遜色ない味であった。

 店員が皿を運ぶ途中に、お盆を落としてしまい、「ガラガラガシャン!」という音が鳴り響いた。「シツレイシマシタ!」と、店員は咄嗟に謝っていた。彼はマレー人なのであるが、焦っているときでも日本語が出るくらい、勤務中は日本語を話す癖がついているのだろう。シャオムは、ラーメン屋のマレー人店員のプロ意識を垣間見た思いがした。

 ラーメン屋で休憩した2人は、駅ビルを出て少し歩き、ツイン・タワーのふもとまで歩いた。

 高さ452メートルの銀色の2つの塔が、目の前にそびえ立っていた。マレーシアでは、このツインタワーになぞらえているのか、街中の多くのビルが、2個ずつ建設されている。同じ色で同じ高さのビルが、隣り合って立っているのを、2人は何度も目にした。ツイン・タワーは、それほどまでに、マレーシアを象徴するランド・マークなのである。

 2人はツイン・タワーに入り、地下のチケット売り場に向かった。シャオムは、タワーに上るのに予約が必要なのは知っていたが、今回の旅行でタワーに行く機会があるのかわからなかったため、特に予約はしていなかった。

 シャオムとアンビは、当日券のようなものを買って、タワーに上れることを期待していたが、すでに当日券はなく、10日後のチケットしか買えないとのことであった。

「残念だけど、仕方ないね。」

 2人は、気を取り直して、ツイン・タワーの前にある、KLCC公園を散歩することにした。

 公園の中を一周すると、すぐそばにあったカフェに入った。

 この日は、ミュージアム・ネガラに行くこと以外は予定がなかったので、ここからはあまりいろいろな場所を歩き回らず、のんびりすることにした。2人は少々疲れていた。

 シャオムとアンビは、先のラーメン屋でも長い時間を過ごしたが、このカフェでも、合唱の話などをしながら夕方のゆっくりした時間を過ごした。

 シャオムは、マレーシアに来てから見聞きした、いろいろな人や物について、思いを巡らしていた。

 シャオムは、大学生になった頃から、多様性という言葉を頻繁に聞くようになった。シャオムが入った学部が国際的な学部だったこともあるが、世の中の流れが、多様性を認めようとする方向へ向いていたのは間違いない。普段、学校で働いていても、多様性を受け入れるということが、当たり前のこととして考えられているように思う。

 シャオムは、マレーシアが「多様性の国」であるということを、訪れる前から知っていた。マレー、中華、インドという、主要な3つの民族をはじめとして、マレーシアには、間違いなく多くの文化が存在している。しかし、シャオムがマレーシアに来る前にイメージしていた「多様性」とは、現実は少し違っていた。

 シャオムは、マレーシアにこのように多くの民族の人がいるのなら、学校でも社会でも、さまざまな民族が入り混じって、仲良く暮らしているというようなイメージを持っていた。マレー人と中国人とインド人が、楽しく話しながら街を歩いていたり、一緒に仕事をしたり、いわばそういった絵を、多様性の国・マレーシアの実像として、自分の頭の中に描いていたのである。

 しかし、シャオムがマレーシアに来て見たもの。それは、それぞれの民族がそれぞれの生活を別々に送っている現実であった。

 シャオムとアンビが街中で出会う人の大半は、マレー系の人であった。レストランの店員や街で掃除をしている人は、ほとんどがマレー系であった。こういう、いわゆるサービス業をしている人の中に、中国系やインド系の人は見なかった。ミュージアム・ネガラの日本語ガイドの壮年に聞いたところによると、マレーシアでは、民族で職業が分けられている面があるようである。中国系はビジネス分野に強く、インド系は弁護士や医者が多いということも聞いた。

 職業だけでなく、シャオムとアンビが、ブリックフィールズでインド系の住宅地を見たように、住んでいるエリアも、民族ごとに分かれているようである。したがって、学校についても、特定の民族の子どもたちの学校が多く存在しているということになる。

 多民族が仲良く一緒に暮らしているという空想を抱いていたシャオムは、実際にはそれぞれの民族が互いに無関心で生きていると感じ、少し寂しく思った。

 シャオムが生まれた日本は、世界でも随一の、単一民族国家である。日本では、みんなが同じであることを前提にして、いろいろな仕組みが成り立っている。学校では、団結することや心を一つにすることが、すばらしいこととして称えられる。事実、全員で一つのものを作り上げることは、芸術・文化において大きな価値を持つ。また、戦後、高度経済成長を支えたのも、日本国民に浸透している「一体感」だったという側面もあるだろう。

 しかし、情報化と国際化が進み、人それぞれ、自由に自分の人生を生きればよいという風潮が、日本でも少しずつ広まってきた。シャオムはそんな平成の時代に生まれた一人として、多様性を賛美する思想に、少なからず影響を受けていたのだろう。文化の違う人とも仲良くしていくのが正しい姿勢なのだと、無意識のうちに思っていた。

 それに比べて、マレーシアの人々にとっては、異文化は、共存はしていても、交流はしていない。それぞれが、互いに距離を保ち、それぞれの生活を送っている。これが、マレーシアの人々にとっての平和なのだろう。

 シャオムは、数日間マレーシアで過ごしてみて、自分の価値観が少し揺らいでいくのを感じた。これが、海外に出ることの醍醐味かもしれない。

 気がつくと、少し日が暮れてきていた。

 シャオムとアンビは、ブキッ・ビンタンに戻り、パビリオンの中にあるマレー料理屋で夕食をとった後、ビール・バーで乾杯した。

「おっ、ミュージシャンが来たぞ」

 シャオムとアンビは、マレーシアで、合唱などの音楽鑑賞ができればいいなと思っていた。しかし、2人が滞在している期間にちょうど開催されているイベントを見つけることはできず、ストリート・ミュージシャンが演奏をしているバーを見つけて、入ってみたのである。

「地元の人の音楽が聴けて、よかったね。」

 シャオムとアンビは、ドリンクと、美味しいズッキーニ・フライ、そしてマレー人のミュージシャンの歌とギターを味わっていた。

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