価値多元主義を考える

どうもシャオムです。

前回、価値観というテーマで話を始めました。現代は、人々が互いの価値観に干渉し合わず、それぞれの考え方が認められるべきであるという「価値相対主義」の時代ではないかというのが、その趣旨でした。しかし価値相対主義は、一面から見れば、思想や考え方に優劣をつけず、互いに干渉し合わないことで調和を保とうとしている状態であり、互いの価値観を尊重しているとは言い難いものです。そこで、今回は、価値相対主義よりも、差異や異なる価値観をもっと積極的に肯定しようとする考え方として、「価値多元主義」を挙げ、それについて考えてみたいと思います。

「多元」とは、単純に「多い」ということを表す言葉ですが、一口に多元主義といっても、その意味するものはさまざまです。政治哲学では、多元主義は、異なる利害を持った集団が争い、また妥協しながら政治を成り立たせているという見方です。たとえば、農業や水産業に従事する人々が、自由貿易に消極的な保守派を支持する。また、低収入の労働者が社会主義的な政党を支持する。このように、社会に存在する多様な集団が、それぞれの利害に基づいて政治に影響を与えているという状態は、多元主義といえます。少し違う角度から考えると、人々は、利害のみにとらわれるのではなく、信条や社会活動の次元で集団をつくり、政治にはたらきかけています。たとえば、フェミニストと呼ばれるグループはその代表といえますし、環境への意識が高い集団もそうです。これらのように、それぞれ異なる問題に関心を持つ集団が存在し、政治を形成しているという考え方も、多元主義といえます。どちらにしても、多元主義が意味するのは、多様な人や考え方が共存しているということではないでしょうか。

そういう意味では、価値多元主義とは、さまざまな価値が共存しているという考え方であるといえます。昨日の記事で書いた相対主義も、人の価値観に干渉しないという意味では、多様な価値が存在している状態であり、一種の多元主義といえます。しかし、もっと積極的な意味で、多様な価値を知り、互いの価値が受容された上で共存するということが重要ではないでしょうか。

たとえば、日本は単一民族による国家といわれますが、実際には多くの外国人が暮らしており、中でも在日朝鮮人の人々は、長らく日本にいます。彼らはさまざまな面で困難を抱え、その問題の解決は日本にとって長年の課題になっています。もし私たちが、価値相対主義的な考え方に終始し、「自分は自分、彼は彼」という態度を貫くならば、在日の人々の問題は他人事であり、自分の人生に関係のないものになるのではないでしょうか。異なる人々が存在するというだけでなく、積極的に関わり、受け入れようとする姿勢こそ、これからの社会に必要な多元主義ではないでしょうか。

外国人の例は、「人」や「集団」という次元の話ですが、「価値多元主義」はもっと広い、人の思想や考え方についての多元主義です。異なる考えを無視するのか、受け入れるのか。受け入れようとすれば、差異が強調され、論争も増えます。しかし、関わり合うからこそ生まれる問題を乗り越えてこそ、本当の意味での調和や共生が実現されるのではないでしょうか。

 

https://www.amazon.co.jp/Problem-Value-Pluralism-Routledge-Innovations/dp/1138724823

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