教育

学級経営とは何か

どうもシャオムです。入学式、始業式が終わり、クラスがスタートしました。いよいよクラスを運営していかなくてはいけなくなったのですが、僕はそもそも、学級経営にまったく関心をもっていませんでした。2年前、教師になろうと思った理由は、勉強を教えたい…

磨くは一生-学びつづける教師に-

「先生、どうやったら数学できるようになりますか?」 もともと数学が得意だった私にとって、この質問は最大の難問だった。どうすれば子どもの気持ちがわかるだろうか。悩む私に、ある先輩は、「自分が苦手な分野を思い浮かべて」と。たしかに、苦手なことに…

受験の最大の弊害は

どうもシャオムです。 前回の記事で、一発勝負の受験のメリットとデメリットを考えました。今回は、受験のやり方の違いについてではなく、受験そのものがどんな機能を持っているかに焦点を当てて考えていきたいと思います。 先に結論から言うと、僕が思う受…

一発勝負の受験の是非

どうもシャオムです。 年が明けて、受験のシーズンに入ってきました。先週末には初の大学入試共通テストが行われ、また今月には私立中学の入試が行われています。この後、さらに高校入試や大学入試が行われることになっています。 多くの人は受験の経験を持…

「プラスの叱り」を見直す

どうもシャオムです。 教育において重要なコミュニケーションの一つが「叱る」ことだと思うのですが、これはなかなか難しいことです。そもそも叱るためには相当な根拠が必要ですし、自分が相手にとっての模範的な存在でなければ効果はありません。相手が何か…

大学入試は知識偏重か

どうもシャオムです。 昨日まで、大学入学共通テストが行われました。昨年までのセンター試験から変更されて初めての共通テストでした。僕はまだ詳しく問題を見ていないですが、その変更の趣旨は、知識だけでなく、問題発見能力や、思考力、判断力、表現力を…

教師に依存した学習の構造

どうもシャオムです。 前々回の記事でお話した、塾での出来事について、今回も少し考えていきたいと思います。 簡単にまとめると、僕の授業を受けた生徒が僕の授業を嫌い、担当を交代させられてしまったという話です。今回の場合、その子はもともと算数が苦…

「役に立つ」という価値からの脱却

どうもシャオムです。 塾で、生徒から「勉強は何の役に立つの?」と質問されました。「何の役に立つから人それぞれであって、役に立たないこともいっぱいある」というのが僕の答えではありますが、この質問にどう答えるのかよりも、この質問が出る背景には、…

「サンタクロースはいるのか」という問いから考える

子どもに「サンタクロースはいるの?」と聞かれて、どう答えるでしょうか。もし、あなたがサンタクロースはいないと信じているなら、「いるよ」と答えることは嘘をつくことになります。子どもは自分の言うことを信じている一方で、自分は子どもに嘘をつくと…

市民教育の出発点=「権利は行使してこそ権利」の発想

どうもシャオムです。 以前、市民教育について少し書きました。そこでは、学校の仕組みでは、主権者としての資質を育成するのは難しいという仮説を立てました。今回は、市民教育といっても具体的に何を学ぶべきなのかに焦点を当て、その核となる考え方を探っ…

学校は「教習所」か「路上」か

どうもシャオムです。 今回は、更新が遅れてしまったこともあって、手短に、学校が「教習所」なのか「路上」なのかという問題提起をしたいと思います。 前回の話の続きからいきましょう。男女共学と別学の違いに触れ、それぞれの環境が、子どもたちのジェン…

男女共学か別学か

どうもシャオムです。 いきなりですが、今回は、男女共学か男女別学かの議論を考えていきたいと思います。誰でも学校には通ったことがありますし、自分の子どもをどんな学校に入れるかというのは、多くの親にとって大きな関心事でしょう。共学か別学かによっ…

探究的な学習ほどノウハウが要る

どうもシャオムです。 学校に行っていると必ず、グループや個人で、何かテーマに沿って調べ考えるというような課題が出たりします。小学校では、自由研究や調べ学習と呼ばれるものがありますし、小中学校では「総合的な学習の時間」、高校では「総合的な探究…

教師に統率力は必要か

どうもシャオムです。 学校や塾の先生たちの間で、子どもに「なめられる先生」と「なめられない先生」という話題がよくあがります。授業では集団をコントロールしなければいけないため、教師たるもの、なめられないようにすることが大事であるというのが大体…

学校と実社会のズレは何か

どうもシャオムです。塾で子どもたちと接していると、よく「何のために勉強するの?」という疑問があがります。大人として、この問題に対する答えを持っておくべきだとは思いますが、多くの人は、実際のところ、学校で習うことの多くは社会で役に立たないと…

学校と音楽教育も相性が悪い

どうもシャオムです。前回は、学校ではその性質上、市民教育を行うのが難しいということを書きました。今回は、同じような角度で、学校で学ぶ音楽について考えいきたいと思います。まずは音楽教育について話す前に、僕自身が音楽にどう接してきたかを振り返…

学校と市民教育は相性が悪い

どうもシャオムです。 前回の記事で、日本の民主主義の特徴として、「お上」が言うことを守ること、そしてお上に指示を仰ぎたがることを上げ、その問題点を指摘しました。今回は、そのような指示をほしがる性質(悪い言い方ではありますが)の原因を、あえて…

教育における「管理」と「保護」の関係

どうもシャオムです。前回、人間と自然の関係を通して、「保護」と「管理」は一体であるということを考えました。自然を人間の手で管理しようとする西洋のあり方の方が、自然を畏れる日本よりも、結果的に自然を守ることにつながっているという話でした。今…

教師は「守り」の職業である

どうもシャオムです。 教職課程をとっていてつくづく思うのは、「教師にそんなに求められたところで、なんでもかんでもできひんで。まあ頑張るけども」ということです。要するに教師養成の授業の全体に、どこか現実的でないような「違和感」を感じています。…

最近、塾が困っていること―学校の評価の仕方が変わったことの影響―

どうもシャオムです。 このブログでは、学校がだんだんと変わってきていることについてたびたび言及していますが、その影響は塾にも及んでいます。やはり一番大きな影響を持つのは、「評価の仕方」が変わったことです。今回は、学校の評価の仕方が変わったこ…

特別支援教育は「教育とは何か」をあぶり出す

どうもシャオムです。 今、とある事情で特別支援教育についての本を読まなければならず、読んでいます。特別支援教育というのは、昔は「障害者教育」とか「特殊教育」とか呼ばれていたもので、ざっくり言うと「特別に支援が必要な子どもへの教育」という風に…

仕組みを理解するのが苦手な人について

どうもシャオムです。 このブログでは、たびたび仕組みを理解するということについて書いています。「学ぶ」ということを一つのテーマにしてやっていますが、それは仕組みを理解するということと大きく関係があります。実際のところ、学校で教えられる教科で…

構成主義が教育を変える

どうもシャオムです。 以前、僕の友人のフランコ君がブログを開設したことをお知らせしましたが、その後不定期にブログが更新されていました。その内容は、学校教育のあり方についてであり、僕自身大いに共感できるものです。今回はフランコ君も書いている教…

教育実習を終えて

どうもシャオムです。 このブログでも報告していた教育実習が無事終わりました。先生方も生徒も温かく迎え入れてくれ、終始楽しく実りある実習でした。今回は手短に終了報告です。 実習期間中もブログを更新できたことは良かったのですが、今見返してみると…

学校がするべき「しつけ」とは

どうもシャオムです。 学校の価値とは何でしょうか。学校は教育機関なので、その本質的な価値は教育をすることだといえます。では、教育とは具体的に何を言うかというのが問題になりますが、一番はじめにイメージするのは、やはり勉強を教えることではないで…

将来の夢はYoutuberという子どもに対して何を言うか

どうもシャオムです。教育実習中、中学生に対してキャリア教育のような授業をする機会がありました。働く意義について考える授業だったのですが、まだ教師として働いてもいないやつが働くことについて授業するなんて滑稽だなあと思いながら取り組みました。…

アクティブラーニングを「時間」で捉える

どうもシャオムです。学校では、アクティブラーニングの考え方が取り入れられてきています。アクティブラーニングが何を意味するかは、文脈によっていろいろあると思いますが、本質的なのは「生徒主体の学び」ということだと思います。たとえば、グープディ…

被害者が苦痛を感じていれば「いじめ」か

どうもシャオムです。 文部科学省によると、いじめは次のように定義されています。 当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理 的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。 いじめの定義はこれまでいろいろと変わってきて…

教員の政治的中立性について

どうもシャオムです。教育の政治的中立性を知っているでしょうか。特定の政党を支持するような教育をしてはいけないという意味です。教育基本法には次のように定められています。第十四条 良識ある公民として必要な政治的教養は、教育上尊重されなければなら…

学校の限界を考えてみる

どうもシャオムです。教育においては「21世紀型スキル」などと言って、知識だけではない問題解決能力やコミュニケーション能力が重視されるようになりました。もちろんこの背景には、グローバル化や情報化によって、一人一人が主体的に考えて生きていく必要…

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