【連載小説】『クアラルンプール』〜5日目(あとがき)〜

 それからのシャオムとアンビの旅行は、ちょっとしたハプニングの連続であった。

 メグらと別れたシャオムとアンビは、その後、タクシーで、歴史と文化の港町・マラッカへ移動した。

 2人がマラッカのホテルに着くと、午後10時を過ぎていた。タクシーが道中で何度もエンストをお越し、なかなか進まなかったのである。2人は高速道路で何度もエンストする車に対しても不安だったが、「まあ、このくらい大丈夫さ」とのたまう運転手には、さらに不安になった。

 結局、タクシーは合計15回ほどエンストしたが、なんとかマラッカの港近くにあるホテルに到着した。大きなトラブルに巻き込まれずに済んで、2人は胸を撫で下ろしたが、あの運転手は無事に家に帰れたのだろうか。

 チェックインを済ませた後、フロントに尋ねると、まだ夕食のサービスがあるらしかった。2人は、せっかくなのでデザートとドリンクだけでももらおうかと言って、レストランに向かった。

 しかし、2人がレストランと思って入ったホールでは、中国人の団体がカラオケに興じていて、食事は一切なかった。

 どこを探しても食事ができそうな場所がなく、2人は途方に暮れて、ホテルの一角にあるバーカウンターにたどり着いた。

 バーには1人のスタッフがいたが、営業しているのかはわからなかった。しかし、彼女はシャオムらが事情を説明するのを一生懸命聴き、結果的に、ドリンクを一杯ずつと、フルーツを一皿出してくれた。

 2人は、これがあらかじめプランに含まれていた食事なのかはさっぱりわからなかったが、バーの店員の人柄がとても気に入った。

 翌日は、よく晴れた。マラッカの街は暑く、多くの観光客で賑わっていた。「マラッカキリスト教会」や、ババ・ニョニャ(中華系とマレー系の混血)の博物館などを見物した2人は大いに満足したが、マラッカの中心部からホテルに戻るタクシーが拾えないなどのトラブルに見舞われた。

 結局歩いてホテルまで戻り、ホテルからタクシーでマラッカ・セントラルの駅へ、マラッカ・セントラルから高速バスでマレーシア国際空港へというルートで帰ることになった。

 シャオムは本当は、タクシーで空港まで戻りたいと思っていた。もちろんタクシーのほうがバスより高価なのだが、高速バスは乗り間違えると飛行機に間に合わないリスクがあるからだ。

 シャオムのこの懸念は見事に当たり、マラッカ・セントラルから乗ったバスの運転手は、強面の大男で、とんでもない大声を出すが、何を言っているかさっぱりわからない。シャオムとアンビは正しいバスに乗ったはずなのだが、「今すぐ降りろ!」というようなジェスチャーをされ、とても怖い思いをした。

 結局、バスは予定通りちゃんと空港に行ってくれ、2人は無事日本へ帰れることとなった。深夜の空港のチェックインでも少々トラブルがあったが。

 シャオムとアンビは、最後の一日の数々のトラブルを振り返って笑い合いながら、お互いがマレーシアで感じたことなどを話していた。

 海外では、基本的に日本語が通じないので、多くの日本人にとっては、言語の壁というものが、海外で過ごす上での最大の問題となる。

 今回の旅行でも、シャオムがある程度英語を話すことができるので、旅行会社の力を借りなくても、自分たちで思うように旅をすることができた。当然、はじめからツアーに申し込んでいれば、タクシーはエンストしないだろうし、高速バスの大男に怖がらせられることもない。

 しかし、そういった不測の出来事が、旅を面白くすることは間違いない。このことを身をもって実感したマレーシア旅行であった。

 そして、一口に言語の壁といっても、マレーシアの人々の中でも、英語力には相当な違いがある。自分と異なる民族の人とのコミュニケーションに慣れている人は、やはり英語もうまく、会話がスムーズにいく。反対に自分たちの民族の中だけで生活が成り立っているような人と話せば、当然意思の疎通は難しくなる。

 シャオムは、コミュニケーションにおいて大事なことは、英語のレベルもさることながら、相手の頭の中を想像することができる力であると強く感じた。マラッカのホテルでフルーツを出してくれたスタッフは、英語力が決して高いとはいえなかったが、ホテルのスタッフとしてシャオムとアンビをもてなそうという精神は旺盛で、親身になって話を聴いてくれた。一方、高速バスの大男は、乗客の感情など知ったことではなく、暴君さながらの怒鳴り声で、命令を発していた(この運転手を何度も例に出して申し訳ない。それほどインパクトが大きかったのである。ちなみに彼のハンドル捌きは彼の気質とは真逆で、模範的な安全運転だったことは付け加えておく)。やはり、単純な言語の知識が重要なことは当然だが、想像力、相手の立場に立って考えること、他者への興味、好奇心など、言語力の奥にある、人間としてのコミュニケーション能力ともいうべき力が、とても大切なのだと気付くことができた。

 シャオムはこの年の5月ごろから、「Succeed(サクシード)」という題名の学級通信を、毎日発行していた。2学期が始まると、この Succeed でも、マレーシアで感じたいろいろなことを書いたり、授業で聞かせてあげたりした。新鮮な気持ちから発された言葉は、子どもたちにも何らかのメッセージとなったことだろう。アンビも、きっと何か生徒に語ってやれる経験が増えていたら嬉しいと思う。今回の旅は、アンビが一緒に来てくれたおかげで、楽しいものとなった。

 そして、マレーシアに招いてくれたメグをはじめ、スレンバンの学校のスタッフたち、高速バスの大男を含め、マレーシアでシャオムとアンビにたくさんの素敵な体験をさせてくれたすべての人々へお礼を言って、あとがきとしたい。

【連載小説】『クアラルンプール』〜4日目(後編)〈完〉〜

 シャオム、アンビ、メグの3人は、職員室がある2階の校舎に上がった。ちょうどそのとき、とある教室から、研修を終えた先生たちが、和気あいあいと話しながら、ぞろぞろと出てきた。

 その中に、ライモンという英語の先生がいた。実はライモンは、シャオムが高校生のとき、シャオムの高校のネイティブ・イングリッシュ・ティーチャーとして働いていた。シャオムはライモンの授業を直接受けたことがなかったが、シャオムの親友がライモンのことを慕っていて、よく放課後に、親友と一緒にライモンのところに行って話をしていた。ライモンは、いつもやってくるシャオムにも気さくに話し掛けてくれ、やがてシャオムのことを「ケビン」というニックネームを付けて呼ぶようになった。シャオムは、なぜ自分がケビンなのかわからなかったが、ライモンは、「なんとなく雰囲気がケビンだから」といって、愛着を込めてそう呼んでいたのである。

 研修を終えて廊下に出てきたライモンに、メグが声をかけた。

「ライモン、シャオムが来ているよ。シャオムのこと、覚えてる?」

「シャオム?シャオム、シャオム、・・・。ケビン!!!」

 ライモンは、シャオムの顔を一目見て、シャオムとはケビンのことだと、すぐに認識することができた。シャオムのことを覚えていたのである。

「もちろん覚えているよ。シャオムも教師になったんだね!嬉しいよ。」

 ライモンは、一言で言い表すなら、バイタリティの塊のような人物である。フィリピン出身の彼は、アメリカの大学を卒業後、日本で数年間英語を教え、その後マレーシアのこの学校の開学に合わせて移住し、英語を教えているのである。彼の持つエネルギーは、どんな生徒でも元気づけるような力がある。シャオムは、久しぶりにライモンに会えて、とても嬉しかった。

「今日はどんな研修をしていたのですか。」

「SELの研修だよ。」

 シャオムは、久しぶりに再開したライモンと、近況などの諸々のことを話すよりも先に、研修の内容を尋ねてしまった。それほど、ライモンら教師たちが、この学校でどんな教育をしているのかが気になっていたのである。

 SELとは、ソーシャル・エモーショナル・ラーニング(Social Emotional Learning)の略で、日本語に訳すなら「社会的・情緒的な学習」とでもいえよう。

 この学校では、毎朝、授業が始まる前の時間に、すべてのクラスでこのSELに取り組んでいるそうだ。

「それは、実際にどんなことをするのですか。」

「たとえば、先生が生徒たちに、今朝の気持ちはどうかを質問する。生徒は楽しいとか、わくわくしているとか、少し不安とか、今の気持ちを自由に言葉に表し、自分の心の状態を知るんだ。」

「なるほど。」

 シャオムの学校では、毎朝、授業が始まる前の時間には「朝読書」が行われている。朝読書には、読書を通して本に親しんだり、集中して授業に臨めるよう心を落ち着かせる目的がある。日本では、朝読書を取り入れている学校がとても多く、シャオムもこの朝読書を大切にしている。

 一方、マレーシアのこの学校では、朝読書ではなく、SELという学習を行うことによって、コミュニケーションを上達させたり、落ち着いて自分と向き合う力を身に付けているようである。

 シャオムは、SELがどんなものなのか、具体的なイメージは持てなかったが、学校の特色として、毎日この学習に取り組んでいるということは、面白いと思った。

「この学校で働くのは、とてもわくわくするよ!」

 ライモンは、やる気に満ち溢れていた。この学校はちょうど、開校して最初の一年を終え、来週から2年目の新学期がスタートするところであった。ライモンはこの学校の基礎をつくる一教員として、使命を感じていたに違いない。

「日本では生徒の教室は決まっていて、そこにいろいろな先生が来て授業をするけど、マレーシアでは逆なんだね。それぞれの先生に自分の教室があり、生徒がそこへ移動する。」

「この学校の場合はそうだが、マレーシアでも公立の学校では日本と同じスタイルが多いよ。」

 シャオムは、学校の仕組みやルール、価値観に渡るまで、たくさんのことをライモンに質問した。

 アンビは英語を完全に理解することはできないが、節々で聞こえる単語から推測できることはたくさんあるし、話す側の雰囲気からも、多くのことを読み取ることができる。シャオムがときどきライモンの言うことを通訳して、アンビにも聞かせていた。

 メグは、そんな彼らのやり取りを微笑ましく見守っていた。

 教育に関するさまざまな話の中で、シャオムが最も興味を示したのが、「反転学習」の授業スタイルである。

 反転学習とは、生徒が授業で習ったことを宿題を通して復習するのではなく、あらかじめ予習することが課題として課され、生徒は授業では自分が正しく理解できているかを確かめるという授業スタイルのことである。

 シャオムは今までにも、反転学習という概念を聞いたことはあったし、実際に大学ではそのような形式で授業を受けたこともあった。

「それで、この反転学習は、うまくいっているのですか。」

「うん。まあ一年目としては及第点といったところかな。もちろん、うまく予習ができない子もいるけどね。」

 ライモンは、反転学習に一定の手応えを感じているようだった。なにしろ、すべての先生がこのスタイルを取り入れているという。学校全体で統一された大きな価値観があるのが、私立学校の特徴であろう。

「なるほど。でも、今の僕が自分のクラスで反転学習をやろうと思うと、ちょっと生徒が多すぎるかなと。」

「まさに!その感覚はきっと正しいよ。このスタイルは、生徒の数が20人を超えると機能しない。僕らはその研究を信じているんだ。」

 シャオムは、ライモンたちが、しっかりとした研究に基づいて教育を実践していることに驚いた。確かにこの学校では、すべてのクラスが15人から20人までの規模で運営されているようだ。

「本当は、少ない人数で、こうしてアクティブな授業をしたほうが、深い学びはできるのだろうけど、なかなかどこでもできるというわけにはいかないからね。」

 シャオムは、果たしてどういう授業をするのが良いのか、ますますわからなくなった。教師として、確固たるスタイルを築き上げることも大切なことであろうが、型に囚われず、いつまでもアップデートし続けることもまた大切である。

 一行は、職員室に案内してもらい、記念写真に収まった。

「ありがとう、ケビン!日本の教育を頼んだよ!」

「ありがとう!またお会いしましょう!」

 シャオムは、日本の教育を頼んだとは、大袈裟と思ったが、ライモンに言わせれば、真実味を帯びて聞こえるのである。

 シャオムとアンビは、ライモンと別れて、校舎を後にした。

  2人は、しばらくの間、ゲスト・ハウスで待った後、メグの車で夕食に連れて行ってもらった。

「よく仕事終わりに行ってる中国料理でいいかな」

 メグの行きつけという中国料理屋に着くと、メグの同僚のジョシュが合流した。ジョシュも理科を教えている先生らしい。

「はじめまして!」

 シャオムとアンビは、ジョシュにも学校のいろいろなことを質問しながら、楽しく食事をした。

「あとはやり残したことは、ただ一つ。シャオムたち、ドリアンを食べて帰らないとね!」

 メグは、マレーシア初訪問のシャオムとアンビのために、ドリアンをたっぷり用意して持ってきてくれていた。車の中がドリアンの臭いで立ちこめるほどである。

「どこで食べようか。この店で食べるわけにはいかないし。」

 メグがドリアンを食べる場所を思案していると、ジョシュが、

「うちに来るといいよ。ここから10分くらいだし。」

 と言った。

 シャオムは、何から何まで世話になり申し訳なく思った。海外旅行に来て、現地の人の家に上がらせてもらえることなど、なかなかないことである。

 一行は、メグの車で、ジョシュの家に向かった。

「さあ、ここでドリアンパーティーだ。」

「ありがとう!」

 メグが器からドリアンを取り出し、小さい皿に取り分けた。その強烈な臭いからは、とても一口も食べられるものではない。

 アンビは、念願だったドリアンを食べる機会を得て、喜んでいた。「うわあ!」などと驚嘆しながら、けっこう食べている。

 シャオムは、よくそんなに食べられるなと感心したが、とても一口も食べられたものではないと、スプーンを置いていた。

「さあ、これを食べないと帰れないよ。」

 シャオムは、今後食べる機会もないと思い、観念して少しだけ食べてみた。食べたと言うより、舐めたと言うべきか。

「うわあ!これは無理だ!」

「ようこそ!マレーシアへ!」

【連載小説】『クアラルンプール』〜4日目(前編)〜

 クアラルンプールからスレンバンに向かうハイウェイの両脇には、ずっと、南国の木々が生い茂っていた。

 日本とマレーシアでは、当然ながら、植生が違う。日本は、温暖湿潤気候という気候帯に属するのに対して、マレーシアを含むマレー半島は、熱帯雨林気候に属する。

 車窓から見える木々は、そのすべてがアブラヤシというヤシの木である。日本でも、ココナッツやナタデココなど、ヤシを原料とする食品が多く親しまれている。南の島や南国といえば、誰もがヤシの木を想像するだろう。

 シャオムとアンビは、そんなヤシの木が連なる風景を眺めながら、スレンバン行きのタクシーに身を任せていた。

 2人はこの日、シャオムの大学時代の友人であるメグに会うため、スレンバンにある私立学校を訪れる予定であった。

 シャオムの属していた学部には、同期入学の学生だけで、10人の留学生がいた。それに対して日本人はひと学年で70人程度であったから、留学生たちの存在感が大きかった。それに、同じ学部の仲間たちは、その人数の少なさもあって、中学や高校のクラスメイトのように親しい間柄であり、毎日大学の授業で顔を合わせては、切磋琢磨しながら勉強していた。授業では、ディスカッションやグループワークも多く、独力ではなかなか達成するのが難しい課題もあったので、助け合って勉強するのが当たり前であり、自ずと仲間との絆は深まっていったのである。

 メグは、そんな留学生の中で、2人いるマレーシア人のうちの1人であった。メグは中華系マレーシア人で、高校までマレーシアで育った後、日本の大学へ留学に来た。入学した当初は、メグもシャオムも、十分なコミュニケーションがとれるほどの英語のレベルではなかった。しかし、大学4年間の勉強を経て、不自由なく英語でやり取りできるまでになり、メグは日本語もとても上手になった。

 シャオムにとってメグは、同じゼミで学んだ1人の大切な友人であった。メグは同じ学部の留学生の中でも、我々日本人と感覚が近く、食べ物の好みなど、共通点も多かった。性格もとても穏やかで優しく、シャオムら日本人の仲間にも、言葉が通じないことを恐れず、いつも笑顔で接してくれた。

 メグは日本の大学を卒業した後、母国マレーシアに帰り、現在の学校の職員として、入試や生徒募集に関する仕事をしているとのことであった。

 シャオムとアンビは、日本の中学校教師として、マレーシアの教育にも、もちろん興味を持っていた。この日は、メグが学校を案内してくれることになっていて、2人は今回の訪問を、大いに期待していた。

 およそ1時間半のドライブを経て、タクシーは高速道路を降り、スレンバンの街に出た。ヤシの木々は少なくなり、住宅地が多い地域に差し掛かった。比較的新しい家が多く、家がないところにも、綺麗な芝生が施されている。

 やがて、タクシーは大きな学校の門の前に到着した。

「ここの学校に何の用が?」

「友だちに会いに来たんだよ。」

「それは、いい再会になるといいな!」

 シャオムとアンビは、運転手に礼を言い、学校の中へ入っていった。警備員が、2人を「ゲスト・ハウス」に通してくれた。シャオムはメグに到着の連絡をして、そこで待つことにした。

 ゲスト・ハウスには、学校を紹介するパネルが展示されていた。「世界市民を育成する」というのが、この学校がめざしていることであった。シャオムは、世界市民とは何だろうかと、考えをめぐらせていた。

 シャオムとアンビがパネルを見学しているうちに、メグがゲスト・ハウスまで迎えにきてくれた。

「久しぶり!遠いところ、来てくれて、本当にありがとう!」

 シャオムは、メグとの5年ぶりの再会を喜び、ここまでのマレーシア旅行の感想などを話した。

「アンビも、学校の先生なんだよ」

「そう。いつもここの先生たちを見ていて、学校の先生たちのことを本当に尊敬するよ。」

 メグは、学校に勤めているが、教員という立場ではない。日ごろ、教壇に立っている教員たちの姿を見て、その熱心さに感心しているようである。

 シャオムは、メグの話を聞いて、この学校の先生たちも、熱い思いを持った教育者なのだと思い、嬉しくなった。

「それじゃあ、ツアーを始めましょうか。」

 シャオムとアンビは、メグの案内で、校内を見学し始めた。はじめにグラウンドの前で写真を撮った後、図書館や食堂を見学した。

「ここの食堂は風が気持ちいいし、素敵だね」

 食堂は、一階の校舎の中心にあり、一個の部屋というよりは、渡り廊下がそのまま食堂になっているといった方がよいかもしれない。食堂と外を隔てる壁はなく、すぐ横にはバスケットボールができるフロアがある。

 シャオムは、食堂でご飯を食べている最中に、バスケットボールが飛んできたら災難だ、などと思ったが、ここの開放的な雰囲気はとても気に入った。

「シャオムとアンビは、お土産を買っていく?」

 2人は次に、「スクール・ショップ」に案内された。

「やあ、よく来たね!」

 スクール・ショップにいた店員の陽気な青年が、親切にグッズの説明をしてくれた。シャオムとアンビは、文房具や、学校のTシャツなどを購入し、店員とメグに礼を言った。

「そろそろ先生たちの研修が終わる頃だから、2階に行こうか。」

【連載小説】『クアラルンプール 』〜3日目(後編)〜

 シャオムとアンビは、ミュージアム・ネガラ駅から鉄道に乗り、KLCC駅で降車した。マレーシアのシンボルである、「ペトロナス・ツイン・タワー」を訪れるためである。

 2人は博物館見学でお腹が空いたので、KLCC駅のビルにあるレストラン街で昼食をとることにした。

「今頃、あの校外学習の子どもたちも、みんなでランチを食べているのだろうか」

 などと、シャオムは思っていた。

 駅ビルのレストラン街にはさまざまな店が並んでいたが、シャオムは、長い旅行のどこかで、あえて日本食を食べたいと思っていたので、ラーメン屋に行くことを提案した。マレーシアで展開している日本食が、日本のものと同じなのか、違うのか、興味があったからである。これにはアンビも了承した。

 「イラシャイマセ!ゴユクリドゾ!」

 席に通されると、お冷やの代わりに冷たい緑茶が運ばれてきた。懐かしい味がする。2人は「豚骨醤油」を食べて、この店でゆっくりしていた。結局のところ、ほとんど日本で食べるラーメンと遜色ない味であった。

 店員が皿を運ぶ途中に、お盆を落としてしまい、「ガラガラガシャン!」という音が鳴り響いた。「シツレイシマシタ!」と、店員は咄嗟に謝っていた。彼はマレー人なのであるが、焦っているときでも日本語が出るくらい、勤務中は日本語を話す癖がついているのだろう。シャオムは、ラーメン屋のマレー人店員のプロ意識を垣間見た思いがした。

 ラーメン屋で休憩した2人は、駅ビルを出て少し歩き、ツイン・タワーのふもとまで歩いた。

 高さ452メートルの銀色の2つの塔が、目の前にそびえ立っていた。マレーシアでは、このツインタワーになぞらえているのか、街中の多くのビルが、2個ずつ建設されている。同じ色で同じ高さのビルが、隣り合って立っているのを、2人は何度も目にした。ツイン・タワーは、それほどまでに、マレーシアを象徴するランド・マークなのである。

 2人はツイン・タワーに入り、地下のチケット売り場に向かった。シャオムは、タワーに上るのに予約が必要なのは知っていたが、今回の旅行でタワーに行く機会があるのかわからなかったため、特に予約はしていなかった。

 シャオムとアンビは、当日券のようなものを買って、タワーに上れることを期待していたが、すでに当日券はなく、10日後のチケットしか買えないとのことであった。

「残念だけど、仕方ないね。」

 2人は、気を取り直して、ツイン・タワーの前にある、KLCC公園を散歩することにした。

 公園の中を一周すると、すぐそばにあったカフェに入った。

 この日は、ミュージアム・ネガラに行くこと以外は予定がなかったので、ここからはあまりいろいろな場所を歩き回らず、のんびりすることにした。2人は少々疲れていた。

 シャオムとアンビは、先のラーメン屋でも長い時間を過ごしたが、このカフェでも、合唱の話などをしながら夕方のゆっくりした時間を過ごした。

 シャオムは、マレーシアに来てから見聞きした、いろいろな人や物について、思いを巡らしていた。

 シャオムは、大学生になった頃から、多様性という言葉を頻繁に聞くようになった。シャオムが入った学部が国際的な学部だったこともあるが、世の中の流れが、多様性を認めようとする方向へ向いていたのは間違いない。普段、学校で働いていても、多様性を受け入れるということが、当たり前のこととして考えられているように思う。

 シャオムは、マレーシアが「多様性の国」であるということを、訪れる前から知っていた。マレー、中華、インドという、主要な3つの民族をはじめとして、マレーシアには、間違いなく多くの文化が存在している。しかし、シャオムがマレーシアに来る前にイメージしていた「多様性」とは、現実は少し違っていた。

 シャオムは、マレーシアにこのように多くの民族の人がいるのなら、学校でも社会でも、さまざまな民族が入り混じって、仲良く暮らしているというようなイメージを持っていた。マレー人と中国人とインド人が、楽しく話しながら街を歩いていたり、一緒に仕事をしたり、いわばそういった絵を、多様性の国・マレーシアの実像として、自分の頭の中に描いていたのである。

 しかし、シャオムがマレーシアに来て見たもの。それは、それぞれの民族がそれぞれの生活を別々に送っている現実であった。

 シャオムとアンビが街中で出会う人の大半は、マレー系の人であった。レストランの店員や街で掃除をしている人は、ほとんどがマレー系であった。こういう、いわゆるサービス業をしている人の中に、中国系やインド系の人は見なかった。ミュージアム・ネガラの日本語ガイドの壮年に聞いたところによると、マレーシアでは、民族で職業が分けられている面があるようである。中国系はビジネス分野に強く、インド系は弁護士や医者が多いということも聞いた。

 職業だけでなく、シャオムとアンビが、ブリックフィールズでインド系の住宅地を見たように、住んでいるエリアも、民族ごとに分かれているようである。したがって、学校についても、特定の民族の子どもたちの学校が多く存在しているということになる。

 多民族が仲良く一緒に暮らしているという空想を抱いていたシャオムは、実際にはそれぞれの民族が互いに無関心で生きていると感じ、少し寂しく思った。

 シャオムが生まれた日本は、世界でも随一の、単一民族国家である。日本では、みんなが同じであることを前提にして、いろいろな仕組みが成り立っている。学校では、団結することや心を一つにすることが、すばらしいこととして称えられる。事実、全員で一つのものを作り上げることは、芸術・文化において大きな価値を持つ。また、戦後、高度経済成長を支えたのも、日本国民に浸透している「一体感」だったという側面もあるだろう。

 しかし、情報化と国際化が進み、人それぞれ、自由に自分の人生を生きればよいという風潮が、日本でも少しずつ広まってきた。シャオムはそんな平成の時代に生まれた一人として、多様性を賛美する思想に、少なからず影響を受けていたのだろう。文化の違う人とも仲良くしていくのが正しい姿勢なのだと、無意識のうちに思っていた。

 それに比べて、マレーシアの人々にとっては、異文化は、共存はしていても、交流はしていない。それぞれが、互いに距離を保ち、それぞれの生活を送っている。これが、マレーシアの人々にとっての平和なのだろう。

 シャオムは、数日間マレーシアで過ごしてみて、自分の価値観が少し揺らいでいくのを感じた。これが、海外に出ることの醍醐味かもしれない。

 気がつくと、少し日が暮れてきていた。

 シャオムとアンビは、ブキッ・ビンタンに戻り、パビリオンの中にあるマレー料理屋で夕食をとった後、ビール・バーで乾杯した。

「おっ、ミュージシャンが来たぞ」

 シャオムとアンビは、マレーシアで、合唱などの音楽鑑賞ができればいいなと思っていた。しかし、2人が滞在している期間にちょうど開催されているイベントを見つけることはできず、ストリート・ミュージシャンが演奏をしているバーを見つけて、入ってみたのである。

「地元の人の音楽が聴けて、よかったね。」

 シャオムとアンビは、ドリンクと、美味しいズッキーニ・フライ、そしてマレー人のミュージシャンの歌とギターを味わっていた。

【連載小説】『クアラルンプール』〜3日目(前編)〜

「おや、日本人の方ですか?」
「はい。そうですが」
「おお、日本人ですか!それはそうと、このツアーのことをどこで知ったのですか?」
 シャオムとアンビは、ミュージアムの入り口で、見知らぬ日本人の壮年から声をかけられた。
「はあ。いやあ、たまたま今ここに来たところなんです」
「それはそれは。もしよければご一緒にどうですか?」
 この壮年は、クアラルンプールにある国立の博物館、その名もミュージアム・ネガラで、日本語ガイドのボランティアをしている人物であった。温厚そうな人である。
 シャオムとアンビは、この日、マレーシアの歴史を知るため、朝から、このミュージアム・ネガラを訪れたのであった。2人がチケットを買って入場した10時ごろ、ちょうど、壮年の日本語ガイドツアーが始まるところであった。
「それでは、そろそろ行きましょうか」
 ツアーにはシャオムとアンビのほかに、もともと申し込んでいたとみられる女性が2人、参加していた。1人はシャオムとアンビと同世代か、少し歳上くらいの女性。もう1人は、自分の子どもと一緒に旅行でマレーシアに来ていて、子どもが国際キャンプに参加している間に1人でミュージアム見学に来たという母親であった。
 ミュージアムのロビーでは、校外学習に来たと思われるマレー人の子どもたちが、わいわい言いながら列を作っている。シャオムとアンビも、普段から仕事でこのような引率をしている。2人は、国が違っても同じように子どもたちが校外学習をするのかと、感心した。
 日本語ガイドによるツアーの参加者たちが、互いに簡単なあいさつを済ませると、一同は、「古代」の展示エリアに入っていった。
 ミュージアム・ネガラは、4つの展示エリアから成り立っており、見学者は古代から順番に、マレーシアの歴史を学んでいくというつくりであった。
「これは縄文土器みたいなものだね」
 古代には、日本の縄文土器弥生土器などと同じような土器が作られたらしい。これらの史料から、当時の人々の生活がわかる。
 ガイドの説明は、非常にわかりやすく、興味深い。アンビは社会科教員なので、自分の知っていることと照らして納得しながら聞いているようだった。
 一行が近世のエリアに入ると、マレーシアが植民地化された時代の話になり、ますます興味深くなっていった。
 植民地としてのマレーシアの歴史は、1511年に、ポルトガルが航海に出てマラッカという港町を占領したことから始まる。このマラッカは、日本に鉄砲が伝来したときも、フランシスコ=ザビエルがキリスト教を伝えたときも、中継地点になった場所のようである。
 その後、1641年にオランダがマラッカを占領。オランダは、世界初の株式会社といわれるオランダ東インド会社を設立し、アジア方面への植民地化支配を強化していた。マラッカの占領もその一環であったといわれる。
 ここで世界史を詳しく紹介することはできないが、18世紀末に、今度はイギリスがマラッカを占領し、1874年にイギリス領マラヤを設立する。その後は、太平洋戦争中に日本がマレーシアを占領した時代を除いて、1957年のマラヤ連邦の独立まで、基本的にはイギリスが統治することとなるのである。
 アンビはもちろんのこと、シャオムも、世界史のざっくりとした流れは頭に入っていたので、ヨーロッパ諸国や日本の動きとマレーシアの歴史を照らし合わせて、非常に興味深く感じながら説明を聞いていた。
「良いか悪いかは別として、これがマレーシアの歴史です。」
 ガイドは何度も、「良いか悪いかは別として」というセリフを口にした。植民地支配は、それぞれの民族が自分たちで自分たちの土地を治めるという、民族自決の理念から考えると、許されるものではあるまい。しかし、一方で、植民地支配の歴史によって、生まれた文化や、人々の交流など、植民地支配が残した遺産もあるといえる。

 歴史を学ぶとき、特定の個人や国家が行ったことが「正しかったのか?」と問い、価値付けをしていくことも大切である。
 しかし、ここでガイドが強調したのは、「良い・悪い」は一旦置いておいて、どんな歴史の上に今のマレーシアがあるのかを知ってほしいということであろう。

 日本は戦時中、マレーシアを占領し、現地の人々を苦しめたという史実もある。
 しかし、現にシャオムたちが出会うマレーシアの人々は、日本人であるシャオムたちを快く迎えてくれている。
 政治の次元を超えて、民間人同士が心を通わせていくことこそ、平和の基礎になっていくに違いない。
 ミュージアムの見学を終えた一行は、最後にガイドにお礼を言い、解散した。シャオムとアンビは、ミュージアムの土産物屋で少し買い物をして、その場を後にした。

【連載小説】『クアラルンプール』〜2日目(後編)〜

 鳩の広場にある土産屋の前で、運転手と落ち合った2人は、金ピカの像をバックに写真を撮ってもらってから、タクシーに乗り込んだ。
 運転手は、特に感想を聞いてくるのでもない。タイムズ・スクエアにあるブキッ・ビンタンへ車を走らせる。
 シャオムが車の中を飛び回る蚊と格闘していると、すぐにタクシーはブキッ・ビンタンに着いた。
「お腹が空いたね」
 2人はブキッ・ビンタン最大のショッピングモールである「パビリオン」で、中華料理を食べ、スーパーマーケットでお土産を買った。
 パビリオンの周辺は常に大勢の人の往来があり、非常に賑やかである。日本では、渋谷のスクランブル交差点が、「大勢の人が行き交う場所」の代名詞であるが、その水準の混雑となる地点が、このエリアにはいくつもある。
 横断歩道はあるにはあるのだが、歩行者信号は一度赤になると、次に青に変わるまでに7、8分かかるため、信号待ちの歩行者で付近が溢れかえる。
 せっかちな人たちが、痺れを切らして赤信号で横断するので、そこへ来た車から爆音のクラクションをお見舞いされるのである。
 とにかく、人も、音も、何もかもが過密という感じがする。
 シャオムとアンビは、パビリオンを後にし、ブキッ・ビンタンの駅に向かって歩いていた。
「本当に人が多いな」
 最も混雑しているエリアを抜けると、今度は巨大な着ぐるみがニコニコして立っている。日本の遊園地で見かける着ぐるみのマスコットよりひと回りもふた回りも大きい。
 2人はブキッ・ビンタンの駅から鉄道に乗り、「マスジット・ネガラ」という国立のモスクに行こうとしていた。
 アンビがこの旅行で訪れたかった場所の一つが、イスラム教の礼拝堂であるモスクである
 アンビは社会科を教えているというのもあるが、やはりその国の文化を知るために、宗教について知ることは欠かせない。
 ましてや、マレーシアはイスラム教を国教とする国である。マレーシアに行ったならば、当然、モスクには行ってみたいというのが2人の希望であった。
 2人はブキッ・ビンタンの駅に着くと、まず、手持ちのクレジットカードで改札が通れるのかを試してみた。
 シャオムは、出発前に、自分が持っているクレジットカードが、マレーシアの鉄道の電子決済に対応しているというのを、ある記事で読んだ。
 しかし、改札はシャオムを通してはくれなかった。仕方なく、券売機で「トークン」と呼ばれる通行券を買わなければならない。日本の駅の改札のように、失敗しても「ピンポン!」という大きな音は鳴らない。
 券売機が大きな紙幣を受け付けてくれなくて手こずったが、なんとかトークンを購入した2人は、長いエスカレーターを下り、地下のプラットホームに降り立った。
 間もなく、電車はホームにやってきて、2人は乗り込んだ。日本と同じく、優先座席や女性専用車両もある。車両編成は、4両から5両くらいである。
 2人は電車に乗り込むと、すぐに、あることに気が付いた。クーラーが効きすぎているのである。
「めちゃめちゃ寒いな」
 と、2人は口を揃えた。
 今回、マスジット・ネガラの最寄り駅までは、5分程度であるが、もし20分でも乗っていなければならないとなると、この寒さはちょっと耐えられない。動物園で、ホッキョクグマのいるコーナーに入ったときのような寒さである。
 アンビは賢明で、長袖のパーカーを持ってきている。シャオムは半袖で寒かったが、すぐに着くので今回はまあ大丈夫であった。
 電車を降りると、駅の中でストリートピアノを奏でている人がいた。YOASOBIの「アイドル」を弾いている。日本の音楽はここでも人気なのだろう。
 2人は少し歩いて、マスジット・ネガラに到着した。マスジットとはモスクのことであり、ネガラは国立を意味するらしい。
 入り口では、多くの観光客が受付をしていた。イスラム教では、女性はヒジャブと呼ばれるスカーフを身に纏う。女性の観光客たちは、ヒジャブをレンタルして羽織っていた。
 シャオムとアンビは、すばやく受付を済ませると、靴を脱いで下駄箱に入れ、中に入っていった。
 さすが、国立のモスクである。青色を基調とした館内の壁や床はすべて美しく、広々としている。天井は高く、たくさんの信者を収容できるようになっている。
 順路を半分くらい進んだところで、シャオムは、スタッフの男性に声をかけられた。
 何を言っているかわからないが、強めの口調で入り口のほうを指差している。戻れと言っているようだ。
 シャオムはこの日、モスクに行くとは思っていなかったので、短パンで過ごしていた。
 おそらく、短パンだと、モスクに入るには、肌の露出が多すぎるので、宗教上問題なのだろう。
 シャオムは仕方なく引き返して、入り口でアンビを待つことにした。
 2人は昨日も、アロー通りのマーケットに行く前に、別のモスクを見物していた。そのときも、靴を脱いで入らなければならないことを知らず、土足で見学していたら、「君たちはムスリムか?」と怒られて、すぐに追い出されてしまった。
 人々が大切にしているものを侵すのは、良くないことである。悪気はないのだが、シャオムは、このような場所で、あまり気軽に行動しないでおこうと思った。
 シャオムがマスジット・ネガラの前で、トルコ人の中年の男に話しかけられていると、アンビが戻ってきた。
 トルコ人は、ぺらぺらと積極的に質問し、1リンギット札と日本の10円玉を交換してくれと頼んできた。やや怪しかったが、悪い人ではなさそうだったので、シャオムは交換に応じた。
 いろいろな国のお金を集めるなど、そういったことが好きなのだろう。
 トルコ人との交流を終え、シャオムとアンビはマスジット・ネガラの前でタクシーを捕まえた。
「やあ、どこまで?」
「バンサーまで」
「25リンギットだ」
「OK」
 シャオムが運転手と簡単に会話をすると、車は勢いよく走り出した。
「君たちは、韓国人?それとも日本人?」
「日本人です」
「おー、日本人!いいね」
 運転手は、観光客を乗せるのに随分慣れているらしく、中国人かそうでないかの見分けはつくが、日本人か韓国人かの区別はまだつかないらしい。彼はマレーシアにある日本の企業のことなどについて、ぺらぺらと得意げに語ってくれた。
「ところで、バンサーに何をしに?」
「インディアン・カレーが食べたいんだ」
「インディアン・カレー?それは兄ちゃんたち、行くところが間違ってるぜ」
 シャオムは、今回の旅行で、インディアン・カレーを食べたいと思っていた。マレーシアにインド系の人々が住んでいることから、美味しいカレー屋さんがあるに違いないと思っていたのだ。実際にインターネットで調べてみると、バンサーというエリアに、一軒、良さそうなレストランが見つかったのである。
「インディアン・カレーが食べたいなら、バンサーじゃなくて、ブリックフィールズだよ。ここにはリトル・インディアがある。美味しいカレー屋さんくらい、山ほどあるよ」
 シャオムは、面食らってしまった。バンサーに行こうと思っていたのに、運転手がブリックフィールズに行くと言うのである。
 シャオムが運転手の言うことを訳してアンビに伝えると、アンビは大笑いしている。あまりにも運転手が自信満々なのが、面白いのだろう。
「ああ、わかった。じゃあブリックフィールズに行ってくれ」
 シャオムは結局、リトル・インディアを見てみるのも悪くないと思い、行き先を変更することにした。ブリックフィールズとバンサーは、歩いて20分ほどの距離にあり、めあてのレストランには、最悪ブリックフィールズから徒歩で行けば良いと思った。
「ここのカレーがきっと美味しいよ」
 運転手はブリックフィールズのとあるインディアン・レストランの前に車をつけた。
 シャオムとアンビは運転手にお礼を行って、言われた通りその店に入ろうとした。
 しかし、店はまだ閉まっていた。
「あれ。もう18時なのにまだ開いてない」
「あの運転手、開いてない店に連れていくってどうなってるんだ」
 レストランはビルの1階にあったが、ビルの中のテナントもほとんどがら空きの状態であり、人の気配もあまりない。
「まいったな。リトル・インディアどころか、ノー・インディアだ」
 シャオムとアンビは、仕方なく辺りを散歩しながら、当初の目的地であるバンサーに向かうことにした。
 少し歩くと、リトル・インディアの名にふさわしい、たくさんの露店が立ち並ぶ道路に出た。軒先には、髭をたくわえた男たちが機嫌良く歩いている。息を吸うと、スパイスの香りだ。
「リトル・インディア。いいね」
 シャオムとアンビは、ここの雰囲気が気に入った。しかし、適当に店に入って、そこの味が口に合うのか不安だったので、リトル・インディアの町は通り過ぎ、予定通りバンサーに向かうことにした。
 賑わっている通りを抜けると、途端に住宅地が続く。
「こんなところ、観光客が来るところじゃないんだろうな」
 2人はそう言いながら、インド系住民たちの住処である家々の間を歩いていった。
 団地の集会所で談笑する人々。八百屋で買い物をする母と娘。想定外だったが、シャオムとアンビは、ここの人々のローカルな暮らしの実態を、自分たちの目で見ることができた。
「ここがサガー。開いてるかな?」
 2人はバンサーにある、サガーというレストランに到着した。
 まだ誰も客はいないが、白と黒の正装に身を包んだ店員の男が丁寧に席に通してくれる。
「ごゆっくり」
 シャオムとアンビはメニューを渡されたが、ここでもメニューはすべて文字だけで写真がない。シャオムはすぐにさっきの男を呼んだ。
「ちょっと何が何だかさっぱりわからないから、相談に乗ってくれないか」
「もちろんです」
「カレーをいくつか。それからナン。カレーは辛くないのがいいよ」
 シャオムがそう伝えると、店員はマトンのカレーとバターチキンカレーにナン、そしてタンドリーチキンを提案した。
「うん、良さそうだね」
 シャオムはそれらの食べ物が本当に辛くないのかを再度確認し、言われた通りに注文した。
 店内は広々としてやや暗く、落ち着いている。インド系のテレビが映されている。少しずつ客がテーブル席を埋めていっている。
 まずはじめに来たのは、タンドリーチキンであった。
「美味しいね。そんなに辛くない」
 日本で食べるタンドリーチキンとは、少し違った風味がする。シャオムとアンビはこれが気に入った。付け合わせのニンジンが生だったこと以外は。
 その後、2種類のカレーとナンが運ばれてきた。シャオムとアンビは、マトンのカレーが辛すぎて、食べるのにかなり苦戦した。
 あれだけ辛くないことを念入りに確認したのに、この有り様である。やはり、辛さの感覚が我々とは違うのであろう。アンビは特に苦しんでいた。しかし、味は非常にうまいのだ。食べたいのに、辛くてしんどい。
 シャオムは、支払いをするために、最初の店員の男を呼んだ。
「ありがとう。おいしかったよ。ところで、辛くないように言ったのに、マトンのカレーが辛かったよ」
 シャオムがそう言うと、店員は、いたずら好きの少年のような目をして、笑っていた。

【連載小説】『クアラルンプール』〜2日目(前編)〜

「もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道となるのだ」

 とは、魯迅の言葉である。
 しかし、クアラルンプールの道々は、そのほとんどが、都市開発の過程で人工的に設置された車道である。
 シャオムとアンビは、そんなクアラルンプールの道路事情を知っていたわけではない。しかし、実際に街の中を移動すれば、このことは一目瞭然なのである。
 日本であれば、縦の道と横の道が交わる場所には、交差点がある。交差点には信号があり、横断歩道があり、自動車はまっすぐ行くこともできれば、左右に曲がることもできる。
 このような道や交差点は、魯迅のいう、人の往来によって成り立った道であろう。
 しかし、クアラルンプールでは、このような交差点はあまり見られない。縦の道と横の道が交わる場所では、どちらかの道を坂道にして、その下にもう片方の道をくぐらせることによって、自動車は止まることなく通行できるようになっている。
 とにかく、自動車がスムーズに走れることを第一に考えて道路が作られているのである。
 だから、もちろん横断歩道のようなものはあまりなく、歩行者が道を横断しようとするためには、車の来ない隙に駆け足で渡るしかない。
 シャオムとアンビは、そんなクアラルンプールの道々を、車窓から眺めていた。
 2人はタイムズ・スクエアの1階にあるカフェで朝食をとった後、クアラルンプール郊外にある観光地であるバトゥ洞窟へ向かうタクシーに乗っていた。
 クアラルンプールでは電車やバスといった交通機関もあるのだが、いかんせん車での移動を前提に作られている街である。2人は移動の簡単さをとって、バトゥ洞窟へもタクシーで行くことにした。
 タイムズ・スクエアから30分ほどタクシーに乗ると、バトゥ洞窟の入り口へ到着した。
 運転手はあまりしゃべるのが好きではなさそうであったが、「猿がたくさんいるから気をつけろ」という忠告だけはしてくれた。
 シャオムは野生の猿がいると聞いて、少し怖い気持ちがした。
「だいたい2時間くらい経ったら、あそこの土産屋の前あたりで待ち合わせしよう」
 運転手は、帰りもシャオムとアンビを送るため、土産屋の前で待っていてくれるとのことであった。
 車を降りて少し歩くと、最初に待っていたのは猿ではなく、おびただしい数の鳩であった。
「うわあ、鳩だ」
 シャオムは鳩を見てさらに不安になった。よく見るとエサを食べる鳩の近くに、猿もうろうろしている。
 観光客たちがエサをやるので、鳩や猿が集まってくるのであろう。
 鳩にパン切れを食べさせている人は日本でも見たことがあるが、猿にバナナをやっている人を見るのは初めてである。
 バナナの皮がそのへんに落ちていて非常に危なっかしい。
 洞窟の入り口になっている、鳩の広場に立っているのは、巨大な金ピカの像である。
 石でできた台座の上に、鎧のようなものを着た神様が、長い武器か杖か何かを持って立っている。
 洞窟に向かうカラフルな階段と横並びになるようにして、正面を向いて立っているのだった。
 シャオムとアンビは足元の鳩や猿に気を取られながらも、金ピカの像を見上げながら階段に向かった。
 数百段ある急な階段を登り終えると、そこに洞窟の入り口があった。
「まだ洞窟に入ってもいないのに、もうひどく疲れたね」
 この急な階段は、2人の旅人の脚にはこたえたようだ。
 しかし、ひとたび洞窟の内部が目に飛び込んでくると、2人は自然の壮大さに心を奪われた。
 洞窟の中は、シャオムが想像していたよりも広々としていて、美しい。天井がとても高く、一番上は空洞になっていて太陽の光が差し込んでいる。
 2人はたくさんの観光客と共に洞窟の中を進んでいき、最奥地点の祠の前でじっと立ち止まった。
 洞窟の中はとても涼しい。たくさんの観光客の話し声や、ニワトリの鳴き声や、僧侶たちの祈りを唱える声などがして、とても静かといえる状況ではないのだが、それでもこのすばらしい自然の洞窟を眺めていると、心がやすらぐようであった。
 バトゥ洞窟は、自然遺産であると同時に、ヒンドゥー教の聖地としての文化遺産の意味も持つ。洞窟内では壁画が彫ってあったり、僧侶が祈りを捧げていたりする。
 2人は洞窟の中にある土産屋に寄った後、洞窟を後にし、階段を降りた。

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