夏目漱石『私の個人主義』に学ぶ

どうもシャオムです。

ノブレスオブリージュという言葉をご存じでしょうか。フランス語で「高貴さは義務を課す」という意味です。この言葉がどういう意味で使われるかというと、社会的に地位のある者は、それ相応の義務があるよという意味です。

この義務とはどんな義務なのかについては、いろいろな解釈があると思います。僕はこの言葉を「学んだ分を社会に還元しなさい」という意味でとらえています。教育を受けた者として、人のため社会のために生きていきなさいということですね。

ノブレスオブリージュの考え方について、夏目漱石が非常にわかりやすく述べています。

1914年学習院での講演『私の個人主義』の中で、「真の個人主義とは何か」についてこう言っています。

第一に貴方がたは自分の個性が発展出来るような場所に尻を落ち付けべく、自分とぴたりと合った仕事を発見するまで邁進しなければ一生の不幸である

 個性を発揮できる仕事を見つけなさいということですね。そして、続けてこう言います。

しかし自分がそれだけの個性を尊重し得るように、社会から許されるならば、他人に対してもその個性を認めて、彼らの傾向を尊重するのが理の当然になって来るでしょう。

自分の個性が活かされると同じだけ、他人の個性も尊重しないとだめですよ。これこそが本当の個人主義だということです。これを漱石は別のところで「自己本位」とも呼んでいます。

そして漱石は、自分の個性を他人に押し付ける人間を指摘します。

権力とは先刻御話した自分の個性を他人の頭の上に無理矢理に圧し付ける道具なのです。(中略)権力に次ぐものは金力です。これも貴方がたには貧民よりも余計に所有しておられるに相違ない。この金力を同じくそうした意味から眺めると、これは個性を拡張するために、他人の上に誘惑の道具として使用し得る至極重宝なものになるのです。

「権力」と「金力」すなわち財力が、他人の個性をつぶすともとれるでしょう。そして、結論として以下のように述べます。

第一に自己の個性の発展を仕遂げようと思うならば、同時に他人の個性を尊重しなければならないという事。第二に自己の所有している権力を使用しようと思うならば、それに附随している義務というものを心得なければならないという事。第三に自己の金力を示そうと願うなら、それに伴う責任を重んじなければならないという事。

 当時、高等教育を受けられる人間は限られており、教育が財力や社会的地位に直結する時代でした。漱石は将来権力や財力を得るであろう学生たちに、本当の意味での個人主義を説いたのでした。同時にそれは、強力な諸外国に対して、日本人が日本人として生きていくことの大切さという意味もあったのかもしれません。

 

漱石の言う「個人主義」また「自己本位」の精神をもって生きていきたいと思います。

 

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