ジェンダーは「つくられたもの」という認識

どうもシャオムです。

中学校での教育実習中のある日、数学の授業で先生が、お金を例にある概念を説明しようとしていました。そこで「お金好きな人ー?」と質問しました。すると、男子のうちの半分くらいが手を挙げました。女子は誰1人として手を挙げませんでした。ここから私たちは何を考えるでしょうか。今回は、そんな話です。

女子が手を挙げなかった理由としては、次の2つが考えられます。まず、生徒たちは幼少期から、「女子はお金を好きであるべきではない」という価値観を身につけてきたということです。お金を稼ぐことに魅力を感じていないのかもしれませんし、お金が好きだということをネガティブに捉えているかもしれません。

次に考えられるのは、本当はお金が好きな子がいるが、周りの空気を気にして手を挙げられなかったということ。自分が思っていることを表明できないということは、この例に限らずよくあることです。ただ、この場合、「なんとなく手を挙げづらい」という雰囲気自体が、「女子はお金を好きであるべきではない」という先ほどの価値観を浸透させているといえます。

この議論では、「女性は生まれつきお金が好きではない」という説を採用していません。別に採用してもいいのですが、どんな人も生まれてから社会との関わりの中で成長するものですから、社会が「性」に与えるイメージに少なからず影響されて生きています。僕が出会った人たちの中でも、男女の傾向の差というのはさまざまな事柄ではっきりとしています。しかし、それはある時点で観察されたものであって、したがって男女に生まれつき差があるという結論を導くことはあえてしないということです。

今回の話では、「女性がお金を好きではない」ことを問題視しているのではありません。社会構造として、女性よりも男性の平均収入の方が多いことは、今回議論しようとしていることではありません。そうではなくて、私たちは、このような性差が社会的に構成されたものだということを見落としがちです。なぜなら、男女は生まれつき違うと考えた方がシンプルですが、性差は社会がつくったものと考えるのは相当に複雑なことだからです。しかし、私たちが男女平等だとか言って、政治家には女性が少ないことや、管理職に女性が少ないことを議論するならば、「そもそもなぜ少ないのか」という話を飛ばすことはできません。社会がどうやってジェンダー観というものをつくっているかを考えずに、「どうすれば女性が活躍できるのか」ということを考えても、表面的な議論にしかなりません。

いま、ジェンダーはかなり政治的なトピックであり、今回の記事を書くのにもかなり気をつかいました。この記事のようなことを誰か有名人が言っていたら、かなりの確率で炎上するでしょう。ただ、今回は、ジェンダーについて一定の立場をとったわけではなく、視点を共有したのみです。ジェンダーが「つくられている」からと言って、それが良いとも悪いとも言っていません(良いか悪いかはわかりません)。改めて、この議論の難しさを実感する回となりました。ではまた。


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