閣僚が男性ばかりで高齢だという世論に対して

どうもシャオムです。

昨日、菅義偉内閣が発足しました。続・安倍政権という通り、安倍政権下で役職についていた人たちを中心とした人事になりました。20人のうち女性は2人であり、近年は閣僚が入れ替わるたびに、SNSなどで「男性中心」という批判が高まるようになりました。今回は前回の続きで、内閣人事が高齢の男性ばかりだという批判について考えていきたいと思います。

今回ツイッターでよく見かけたのは、スウェーデンの内閣は女性の割合が〇〇%なのに日本は10%だなど、とにかく女性の比率や、平均年齢などの統計に関する指摘でした。ツイッターの世論というのはけっこう特徴があって、社会全体の世論とは離れていることも多いのですが、最近はこういうわかりやすくて印象に訴えやすい且つリベラルな意見というのがバズりやすくなっています。ツイッターでのこのような指摘が、日本社会に良い影響を与えているでしょうか。たしかに、問題提起をしているという点で価値があります。ただ、それ以上に大きな意味はなさそうです。

女性の比率が何パーセント、平均年齢が何歳というデータは、本来、非常に重要なものです。なぜなら、データは私たちが物事を考えるときに、材料になるものだからです。しかし、SNS世論というのは今のところ、データを思考に役立てるのではなく、扇動に利用している側面が強いです。「日本では女性がこんなに登用されてないんですよ」「こんなおじいちゃんたちに政治ができるの?」という文字の並びは、ナイーブな人たちにとってわかりやすく、「何かいけない」ということを印象付けます。しかし、本来議論されなければいけないことは、「なぜ女性が少ないのか」「なぜ女性閣僚が増えるべきなのか」「なぜ若い政治家が閣僚になれないのか」という問題です。データはこれらの問題を考えるために使うものです。

どんな人でも、SNSに限らず、テレビを見ていたり、誰かの話を聞いたりしたときに、日本はここがおかしいなとか、政治はやっぱりここがダメだなとか、思うことはあるでしょう。閣僚に女性が少ないのもその一つです。そういう情報を見たときに、「日本の内閣ってなんか古くさいな」と思うかもしれません。しかし、そう思うだけでは、メディアによって自分のものの見方が操られてしまいます。「なんか古くさい」からもう一歩先に進みましょう。別に「なぜ女性が少ないのか」を必死で考える必要はありません。「重要なのはデータそのものではなく、なぜ女性が少ないのかだ」という認識ができているだけで、政治の見方が大きく違います。メディアに惑わされず、問題の本質を考えていきたいものです。

昨日のジェンダーの話の続きから、世論やメディアリテラシーの話にまで及びました。内閣が変わり、日本の政治について考える機会が到来しているのではないでしょうか。

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