教員の政治的中立性について

どうもシャオムです。

教育の政治的中立性を知っているでしょうか。特定の政党を支持するような教育をしてはいけないという意味です。


教育基本法には次のように定められています。


第十四条 良識ある公民として必要な政治的教養は、教育上尊重されなければならない。

 法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。


これは公務員だから守らなければならないものではなく、教育基本法ですから学校で教育に携わるならば守らなければならないものです。もっとも、「良識ある公民として必要な政治的教養は、教育上尊重されなければならない」とあるように、市民教育としての政治教育は必要なものです。そうではなくて、「特定の政党を支持する」または政党に「反対する」ための政治教育をしてはいけないと書かれています。これをもとに、教員の政治的中立性の意味を考えていきたいと思います。

本来、政治とは政党政治だけを指すものではありません。教育の中立性という理念が打ち立てられていることの背景には、まだ自分で政治的な判断ができない子どもを、政治的に扇動するようなことがあってはならないという考えがあると思います。ということは、学校は、(理念の上では)なにも政党だけでなく、あらゆる政治的な事柄について中立であるべきだと言えます。

政党ではない政治的な事柄とは何でしょうか。たとえば、学校の先生が、生徒に好きな国はどこですかと聞かれたとします。先生は「好きな国はドイツです」と答えました。普通に起こりそうな教室での一コマですが、シナリオを微妙に変えたらどうでしょうか。

「好きな国はどこですか」

「日本です」

こういうとちょっと政治的なニュアンスを帯びるのがわかるでしょうか。先生の答えとしてはちょっと右に寄ってるわけです。続けて、生徒が気軽に「嫌いな国はどこですか」と聞いたとします。「嫌いな国」はもっと政治的な感じがします。これを「中国」とか「韓国」と答えると、今の日本では最大級に政治的です。

他にもあります。伝統的な性別役割分業というのはところどころで根強いですが、学校でも「男子だから〜」「女子だから〜」ということはよくあります。少なくとも10年以上前であれば、これが何らの大きな意味を持つことはありませんでした。しかし、現代はこういう性に基づく区別がよく批判されます。性別によって役割を分けようとする圧力に対する反対勢力が大きくなっているということです。政治的とは、一つには、このように社会の中で力関係が成立するような事柄のことを言います。つまり、あらゆるトピックについて、学校が政治的に中立的であることが望ましいということになります。

何が「政治的」になるかは社会の流れによって変わってきます。学校は子どもたちを無差別に育てる場所であることから、政治的に偏った教育をすることはできません。教育基本法に「特定の政党」いう風に、「政治的」の意味を政党に限っているのは、日本社会において政治=政党という考えが昔から当たり前だからではないでしょうか。人々の政治意識が高まり、多くの人が「政治的」と感じるものが増えていけば、教育の中立性はますます厳しいものになるかもしれません。どちらにせよ、学校にとって重要なのは、中立性を保った上で市民教育に力を入れ、自立した市民を育てることだと思っています。


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