スマホとパソコンの差は「生産的かどうか」にある

どうもシャオムです。
「何かを作るのが好きだ」という一つの発見をした僕にとって、5月はやや退屈な1ヶ月でした。というのも、5年くらい使っていたノートパソコンが壊れてしまったのです。容量があまり大きくなく、ハード面が脆いモデルだったこともあり、ハードから壊れていって部品が損傷したと思われます。修理に出してまでそれを使いたいとも思わなかったので、買い替えることにしました。そして今日、新しいパソコンを手に入れることができました。
この1年くらい、僕は時間があるときはブログを書いたり曲を作ったり動画を作ったりと、とにかくパソコンを使って遊んでいました。何かを作る人にとって、パソコンはすべての入り口になる物です。パソコンなしで何かを作るのは、もはや非常に難しくなっています。
パソコンを持っていない人の中には、「スマホでほとんどのことができる」と考える人もいますが、その多くはあまり「作ること」をしていない人たちだと思います。スマホは何かを見たり、読んだりするのには向いているので、情報を「消費」するには効率の良い物です。ただ、パソコンが壊れてスマホだけが手元に残った僕は、ほとんど何も作ることができず、ブログの更新もやや滞らせていました。
僕は日本とカナダの両方で大学の授業を受けたことがありますが、両者には一つの大きな違いがあります。それは、日本の学生はノートを広げているのに大して、カナダの学生はパソコンを開いていることです。もちろん、今や多くの日本の大学でも、パソコンを持って授業を受けることが標準になってきていると思います。しかし、日本と他の国々では、授業の受け方にまだまだ差があるのではないかと思っています。特に多くの高校生は、パソコンを開いて授業を受けることには慣れていないでしょう。
この差はすなわち、何かを作る能力の差として表れます。パソコンを使うのが当たり前の人にとっては、何かを作る機会が多くあります。僕の母親も最近パソコンを買って、書類を作り始めました。しかし、パソコンを使わない人は、何かを作るということはほぼないといってもよいくらいでしょう。学校では今、全員がタブレットを使えるようにという動きがありますが、タブレットスマホとパソコンのあいの子のようなものです。僕はどちらかといえはスマホに近いのかなと思っています。タブレットはパソコンほど文書やスライドを作るのに向いていませんし、授業でも用途を見ていても生産的なことはあまり行われていないように思います。どちらかといえば、画面が大きいスマホとして、情報のやり取りをメインにして使われています。これが真実であるにせよないにせよ、「生産的な使い道かどうか」という基準で学校のタブレットを考えるのは良いかもしれません。創造性を養う教育を考える上では役に立つ視点ではないでしょうか。
明日、パソコンが届いたら、さっさと設定を済ませて何かを作り始めようと思います。まずは何を作ろうかなと思いを巡らせながら、スマホで文字を打つのもこれぐらいにしておこうと思います。

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