【連載小説】『シェムリアップ』~4日目(後編)~

 シャオムが目を覚ますと、時刻は16時を回っていた。シャオムは2時間ばかりの休養と水分補給で大分回復していた。当初の予定ではミュージアムの後、再びマットのオフィスを訪ねる予定だった。ダダオは少し心配していたが、シャオムは具合が良くなったので、予定通りオフィスに行くことにした。

 マットは2日前と変わらず、のんびり仕事をしていた。

「ヘイ!トンレサップはどうだった?」

「最高でした。夕日の時間も完璧でしたね」

 ダダオとシャオムは、ツアーのフィードバックをするようマットに頼まれていた。今日はそのフィードバックと、お礼を言いにきたのである。

「何か気になったことはあったかい?どんな細かいことでも構わないよ」

「訪れる場所やプランは文句なしですね。もう少しみんなでわいわいする時間があってもいいのかなと思いました。せっかくツアーに集まったんですからね」

「なるほど、ガイドのサムはどうだった?」

「名ガイドでしたよ。話は面白いし、僕らの疑問にもよく答えてくれました」

「そりゃよかった。彼にも伝えておくよ。明日のアンコールワットにはソニアというガイドが行くよ」

「楽しみにしています!」

 三人で談笑していると、もう一人の若い男がやってきた。

「ダダオ、久しぶりだね!」

 彼はアーロンという、トンレサップエリアの村出身の男であった。彼はマットの学校を卒業後、マットのツアー会社で働いているそうである。人当たりの良さそうな好青年であった。

「明日は何するんだい?」

「明日はツアーでアンコール・ワットだよ」

「いいね!俺はもう飽きたけどね」

「たしかに、もう何回も行ってるんだもんね」

「地元の俺からしたら、ただの石だよ」

 アーロンは、日本では見ないような小さなバナナを分けてくれた。

「明日の夜、何も予定ないならみんなで飯行こうぜ?」

「明日はシャオムが最後だから、ぜひそうしよう」

 アーロンの提案で、明日はマットも一緒に夕食に出かけることとなった。シャオムとダダオは二人にお礼を言い、オフィスを出た。

「マットもアーロンもいい人ですね」

「彼らはほんと最高だよ」

 シャオムの体調はすっかり良くなっていた。あまり遠いところに行くのも大変なので、二人はホテルの近くにあるクメール料理屋で夕食を済ませた。

カンボジアもあと一日で終わると思うと早いもんですね」

「これであとはアンコール・ワットに行けば完璧だろ」

 その日の夜、シャオムがシャワーを浴びていると、排水溝が詰まって部屋まで水があふれだしていた。

「おい、いつの間に部屋が洪水になってるんだよ。早くタオル借りてきてくれ」

 シャオムは急いでタオルをもってきて、びしょびしょになった部屋を掃除した。

「今日は調子が悪いです」

「まあ、6日もあればこういう日もあるよ」

 二人はフロントにタオルを返しにいくついでに、暇をしているスタッフと話を雑談でもしようなどと言って階段を下りた。フロントには二人の若い男がいて、案の定暇そうな顔をしていた。

「ヘイ、遅くまでおつれさん」

「オウ、何か用か?」

「タオルありがとう。今日は何時まで?」

「あと2時間くらいかな」

「君らは、この仕事、月給いくらぐらいなの?」

「300ドルくらいだな」

「300?そりゃちょっと安すぎるぜ。生計立てられるのかい?」

「まあまあ厳しいね」

 300ドルというと日本円で3万円くらいである。物価が安いとはいえ、日本の初任給から比べても低い水準である。

「みんなどうやって暮らしてるの?」

「ここら辺のホテルやレストランの店員たちの多くは、他にも仕事をしてるよ。トゥクトゥクのドライバーもあるし、他の店で働いたりね。あとはブンブンガール」

 ブンブンガールとは、要するに売春のことらしかった。夜まで賑やかな観光地・シェムリアップでは、やはり身売りをする女性はいるのだそうだ。シャオムらも、パブ・ストリートで怪しいマッサージ屋の客引きに遭ったりしていた。優しそうな顔の職員は、中にはブンブンボーイといって、ゲイ同士のコミュニティもあると教えてくれた。

「世の中知らないことだらけだな」

 ダダオが、再び質問した。

「なんでシェムリアップはこんなにもうかってんのに、君らに金が回らないんだ?」

「それは、政府が腐敗してるからだ」

「そりゃどうにかして変えないとダメだな」

「変わらないよ」

「じゃあ、君は将来何になりたいんだ?」

「政府に勤めたいね」

「なんでだよ」

「裕福に暮らしたいから」

「それで幸せか?」

「たぶんね」

 優しそうな職員の顔が、やや曇っていた。ダダオはこのようにいろいろなことを話せるほど、彼らと仲良くなっていた。本来ならかなり個人的な質問だろうが、職員たちに嫌そうな様子はなかった。

「じゃあ、また話そうぜ」

「またな、おやすみ」

 地元の人々と話すと、彼らの本当の暮らしが見えてくる。シャオムは、差異を乗り越えるといっても、まずは知るところからだと思った。そしてそこからいかに理解し、共感しあえるかが問題だと思った。

「明日は早いから、もう寝よう」

 シャオムとダダオは明日のアンコール・ワットに備え、すぐに眠りについた。

 

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