【連載小説】『シェムリアップ』~4日目(前編)~
4日目
シャオムとダダオが目覚めると、ケンはもう出発していた。ケンはこの日の早朝のバスでプノンペンへ帰ることになっていた。三人はトンレサップから帰った後、中華のレストランで夕食をとり、パブストリートで乾杯するという長い一日を過ごした。そのせいで、シャオムはあまりケンにあいさつもできず、あとから連絡をした。ケンは総じて、この旅に満足していたようであった。シャオムとダダオはケンに感謝し、10時ごろにようやく部屋を出た。
この日は当初から、トンレサップ湖とアンコール・ワットの間の一日であり、特に何をするかを決めていなかった。ロビーに下りると、トラベラーズ・ホームのオーナーが迎えてくれた。
「おはよう。よく眠れたかい?」
「おはよう。おかげさまで。今日何するかまだ決めてないんだけど、どこかいい場所はないかな」
ダダオはアンコール・ワットには明日行く予定であることや、シャオムが初めてカンボジアに来ていることなどを説明した。
「うーん、たとえば、ミュージアムはどうだい?」
「ああ、ナショナル・ミュージアムか。あそこはどうなの?評判いいのかい?」
「まあ悪くはないよ」
シャオムはカンボジアの歴史にも多少興味があったので、勧められた通りミュージアムに行くことにした。オーナーはフロントに置いてある割引券を持ち出してきた。
「これをここで買って持っていけば割引だ。向こうで買えば14ドル。ここで買えば12ドル。そのうち2ドルはおれらのホテルの取り分になる」
シャオムは、何もホテル側の取り分まで説明しなくてもと思ったが、オーナーの人柄を気に入ったので、券を購入した。シャオムとダダオは、フロントにいた従業員たちに礼を言ってホテルを後にした。
シャオムにとって4日目のシェムリアップ市街は、とっくに見慣れた風景となっていた。ダダオはよく街の若者から声をかけられているが、知り合いなのかどうかもよくわからない。二人は少し歩いて、Red Angkorという食堂に入った。
「おはよう。どこの席にでもどうぞ」
店員が適当に案内すると、二人は席に着いた。シェムリアップのレストランはどこもメニューが豊富で、違いがわからないようなものも多い。二人はその中からサンドイッチにオムレツ、それからアイスコーヒーを注文した。少し離れたところの席では、観光客と見える老夫婦が、シャオムらと同様に朝食をとっていた。シャオムとダダオは大きなサンドイッチを食べながら、ミュージアムはどんなだろうか、などと話した。シャオムは、ここまでの旅で食べた料理に総じて満足していた。さっきの店員が、隣のテーブルで食事をし始めていた。二人は彼に代金を支払って店を出た。
ダダオはミュージアムまでのトゥクトゥクを捕まえる前に、街の両替屋でドルをたくさん買った。ダダオは今回に限らず、たびたびカンボジアを訪れることがある。プノンペンやシェムリアップでは米ドルが流通しているし、ダダオは1月の下旬にはアメリカの大学に戻る。一度に多く両替した方が得だということだろう。
ミュージアムは、アンコールワットへ続く道の途中に位置していた。二人がトゥクトゥクを降りると、入り口付近はそこそこの数の観光客でにぎわっていた。隣にはどちらがミュージアムかわからないほど立派なホテルが建っていた。二人は受付で手荷物を預けると、放射状の大きな階段を上がっていった。
「ここに音声ガイドの2番て。1番はどこにあったんや」
展示フロアには、カンボジアの歴史が古代から丁寧に紹介されていた。大きな顔出しパネルが置いてあるエリアに入ると、ダダオが腹痛を訴えた。ダダオがトイレに行く間、シャオムは顔出しパネルで撮影する人々を見ながら休憩していたが、シャオムの方もこの日は体調がよくなかった。ダダオは帰ってくるとすっかり腹痛は治ったようであった。
「お前、顔色悪いぞ」
「ちょっと、しんどいですね」
シャオムの症状は、完全に熱中症であった。シェムリアップの暑さは知らず知らずのうちに、シャオムの体にボディブローのように効いていた。思い返してみると、シャオムは昨日、パブ・ストリートでお酒を飲んでから、水をあまり飲んでいないことに気が付いた。おまけに今朝はコーヒーを飲んだ。脱水症状が出てもおかしくない状態であった。
「あー、これはダメだね。ホテルに帰ろう」
二人は5分で順路を通過し、出口を出た。
「まったくわかりませんでしたね、カンボジアの歴史」
「ちゃんと水は飲んでくれほんと」
急いでトゥクトゥクに乗り込んでトラベラーズ・ホームに帰ると、シャオムは水を飲んでベッドに入った。自然をなめてはいけない良い例である。重症ではなかったが、確実に休養が必要であった。外では工事の音がやかましかった。