同窓会論

どうもシャオムです。

先日、小学校時代の友人にバーベキューに誘われて参加してきました。

そこで感じた「同窓会の価値」の話をしたいと思います。

バーベキューには15人くらいが集まり、中には10年以上ぶりに会う子もいました。僕は中学から私立の学校に行ったので、彼らとの思い出は小学校までで止まっているのですが、今でも時々集まりに呼んでくれて本当に感謝しています。僕らは小学校6年生の当時から全体で仲が良く、一番まじめでおとなしい子と一番やんちゃな子が同じグループで遊んでいることもありました。男女の隔たりもゆるやかで、誰かが接点となって皆がつながっている状態が維持されていました。このつながりは、地元に残っているメンバーを中心として今でも続いています。僕は、どんな子も排除しない彼らのやさしさが大好きです。地元の友達とコミュニティは、彼ら一人一人にとって大きな財産になっているはずです。

 

同窓会の機能について考えるとき、前提となるのが「学校には無差別に子供が集まってくる」という学校の特徴です。もちろん高校はある程度学力によってふるい分けられているし、公立の小中学校でも地域による経済格差などは存在します。しかし、それらを考慮しても、社会の他のコミュニティに比べて、学校は圧倒的に無差別です。趣味とか、親の収入とか、そういう要素とは関係なく、同じ校区に住んでいるというだけで一斉に集められます。このことは一面から見れば、学校が画一的な教育を施すことによって、もとある子どもの多様性を殺しているといえます。しかし視点を変えると、子ども達は、学校がなければ関わるはずのない人に出会うということです。

このように考えると、子ども達が大人になったとき、同窓会というコミュニティは、唯一無二の価値を持ちます。法律に関わる仕事がしたいと思って法曹界に進んだ人が、地方で農業をする人と出会うことはあまりありません。しかし同窓会ではこれが起こります。同窓会は、「多様性」という学校の正の価値を卒業後も維持してくれるものなのです。

 

今回、同窓会について考えるにあたって文献も見てみましたが、学校の社会学はあっても同窓会の分析はあまり出てきませんでした。この理由はおそらく、同窓会がゆるやかで非公式な組織でありデータがとりにくいからです。また思うに、日本で伝統的な同窓会という組織が西洋にはない独自の性質をもっており、海外の学術界との接点がないため、そこまで発展していないのではないかと思います。

個人的には面白そうな「同窓会論」。今後も考えていきたいと思います。

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