教師の仕事はブラックなのか(3)

どうもシャオムです。

今回は教師がブラックかの議論の最終回にしたいと思います。

僕の個人的な思いに関する部分の話になります。

 

僕が教師になろうと思っている理由は、教えることや子供と一緒に勉強することが好きだからです。現在働いている塾でも、ストレスフリーで楽しく働くことができています。どうやったらもっとこの子とうまくコミュニケーションがとれるか、どうやったらこの子が前向きになれるかといったことを考えるのは、やりがいがあることだと気づきました。また、うまい授業、生徒を引き付ける授業を研究するのも楽しいことの一つです。

一方で、教師になることで教育に貢献したいとか、教育者として生きていくという使命感みたいなものはあまりありません。教師の仕事に熱中はできそうですが、人生をそれにささげる気はないといったところでしょうか。

 

そんな僕なりに、教師の仕事環境について感じることを書いてみます。

まず、教職課程をとっていて思うのですが、「これからの教師に必要な能力」が多すぎます。教科の指導力、生徒指導、カウンセリング力、学級経営、地域社会や保護者との連携、そのほかにもたくさん。教師になりたいという崇高な志を持っているなら、これらすべて備えてください、という感じです。公務員として、「満点」の教師を目指さないといけないのは、大義名分として仕方ない面もあると思いますが、こんなこと言ってると優秀な若者は教師を志さなくなります。

 

教師に対する期待が大きくなっている理由は、学校にすべてを求めることにあります。勉強と生活のしつけは主なものですが、社会のいろいろな問題の原因を公教育に求めがちな風潮があります。つまり現状では、学校が教育のあらゆる面を独占しています。

学校や教師の負担を減らすには、このような仕組みを解体し、教育の機能を分散させる必要があります。

部活動の外部化は良い例です。これまで教師が顧問として指導していたクラブ活動を外部に任せ、地域社会や企業が学生の指導を担うようになれば、教師の仕事は一つ減ります。

このように、いま教師が担っている仕事の多くを、社会で分担していく必要があると思っています。また、社会はその方向に動いていると思います。学校の機能がどんどん分散され、教育者の仕事も専門化・細分化されていくと、それぞれの役割どうしの連携が重要になっていきます。数学はここで教える、スポーツはここでやる、集団活動は誰が教えるというように機能は分かれても、育てようとしているのは一人の子供だからです。

(この問題は簡単に語れるものではありません。学校を解体するといっても、教育の機能を民間に分散させると教育格差が問題になります。すると、どこまでを公教育でまかなうのかの線引きが非常に複雑になります。なので僕は今すぐに学校を解体すべきという論者ではありません。)

 

以上が僕の現状の、教師という仕事に対する気持ちです。労働環境については、負担が軽くなる方向に社会は動いているのではないかと思います。自分が教師になるにあたっては、やはり「この仕事が楽しいか」という軸で、自分らしく働いていけたらいいなと思っています。ずっと教師をやり続ける必要もないかと思いますし、実際やってみたら楽しくなかったってこともあるでしょうしね。

いずれにしても、キャリアを考えるにあたっては、自分が入っていこうとしている業界がどういう仕組みで動いているかを考えるのは大切ですね。そのうえで、好きなこと、熱中できることをやろうというのが僕の信念です。

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