「学ぶとは」を心理学から見る

どうもシャオムです。

 

以前、「学ぶ」とは問いを立てて解決することだという記事を書きました。

今回はその続きで、学びを心理学の学習理論の観点から見てみたいと思います。

 

honmadesukate.hatenablog.com

 

ではさっそく学習理論の大枠から。

学習理論には大きく分けて2つの流れがあります。

1つは、学習が刺激と反応の結びつきであるとする連合説。たとえば、ベルを鳴らしてから犬にエサを与えることを繰り返すと、犬はしだいにベルの音を聞いただけで唾液を出すようになります。こういう反応を条件反射と言いますが、これは学習を刺激と反応の連合でとらえる考え方です。

もう1つの流れは、学習とは認知構造の変化であるとする認知説です。学習は単なる刺激と反応によって成立するのではなく、知覚された情報を自分の知識や経験をもとに解釈することだと考えます。たとえば、東京に住んでいる子どもが北海道に旅行に行ったとき、とても寒く感じたとします。またあるとき、この子が沖縄に旅行に行くと東京よりも暑かったとします。すると、この子は北に行けば行くほど寒く、南に行けば行けばいくほど暑くなるのではないか、という法則を思いつきます。このように、実際に経験せずとも、それまでの学習がもとになって、知識に新たな変化が生じることを学習と呼ぶのです。

 

前回の記事では、学ぶとは、問いを立てて思考しそれを解決することだと書きました。このプロセスにおいて、問いを立てる→思考するまでは、認知的な学習です。問いを立てるためには、それまでの知識や経験をもとに、問題が存在するところに気づかなければなりません。さらに、思考するためには、持っている知識に加え、新たな情報を仕入れる必要があり、そこから「こうしたらこうなるんじゃないか?」という発想を得なければなりません。この思考はある意味で、「この問題はこうしたら解ける」という仮説を立てることともいえると思います。

ここまでは、人間ならではの営みであり、創造性や論理性が必要な段階です。しかし、これだけでは観念的な学びに終わってしまい、学習者の実力として血肉になっているとはいいがたいところです。問いを立てて思考した後、自分なりにその問いに答えるためには、「じゃあ、この考えが本当かどうか試してみよう」という試行錯誤が必要なわけです。さっきの気温の例でいえば、「北に行くほど寒い。南に行くほど暑い」という仮説を立てたら、自分でもっと北に行って「ああ、やはりもっと寒くなる」とか「あれ、寒くない」という結果を得、それをもとに仮説を検証するということです。このような試行錯誤は、ある意味古典的な刺激と反応のルールで成り立つものであり、連合説のいう学習理論に近い考え方だといえます。

 

このように、問い→思考→結果という学びのプロセスには、過去の学びを活かす認知的な部分と、実際に自分の足で確かめるという刺激―反応の部分の両方が欠かせないということになります。「学び」をまた違った角度から眺めることにより、その性質がより理解できたのではないでしょうか。

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