「丁寧」の価値をあなどるなかれ

どうもシャオムです。

教育実習では、初めて学校という場所で授業をすることになり、ふだん塾でやっている授業との違いを感じることが多いです。もちろん、学校=公、塾=民間というところに本質的な違いがあって、目指すところも異なっています。ただ、今回はそういった学校や塾の性格の違いの話ではなくて、学校で始めて授業してみて気づいた「丁寧であることの価値」について書いてみたいと思います。

教育実習では、もちろん自分がする授業を丁寧に作り、実際にやってみては修正するという繰り返しを行います。授業の準備に割く時間は、当然、塾での授業よりは長くなります。入念に準備をするということは、授業が上達するためにはもちろん大事なことですが、何よりも準備をした分だけ子どもたちへの配慮ができるということです。経験が無い分だけ入念に準備するべきという見方もありますが、なにも準備は自分が良いパフォーマンスをするためだけのものではありません。

学校の場合で言えば、教科指導は子どもたちの学力を高めるだけでなく、教師との信頼関係を築く上でも重要です。子どもたちからすれば、準備をしていなくても授業がうまいベテランの先生も安心感がありますが、技術はまだまだでも毎回丁寧に準備して授業をしてくれる先生を信用するでしょう。たしかに、「プロだから実力がすべて」という考え方もあります。しかし、丁寧であることと実力があることは本来関係ないですから、実力があるからといっても雑ではいけません。教育実習をしていると、いろいろな場面でそういった丁寧さがものを言うなあと感じます。

どんな世界であれ、それぞれの人にはできることとできないことがあります。ただ、誠意とか丁寧さを大事にするということは、それだけで大きな価値があると思います。

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