ステレオタイプは楽である

どうもシャオムです。

ステレオタイプという言葉があります。日本語では固定観念と訳されることが多いです。英語の辞書で “stereotype” を引くと、 

a widely held but fixed and oversimplified image or idea of a particular type of person or thing.” 

とあります。「広く認識されていて、かつ固まり単純化されすぎた考え」というような意味になると思います。ステレオタイプは社会のいろいろな問題に関係があって、よくネガティブな意味で受け取られます。たとえば差別にしても、「○○人は〜〜という性質がある」というようなイメージに基づいたものがあります。これはステレオタイプであるといえます。また、学歴社会にしてもそうです。学歴社会では、企業は「○○大学の出身者には優秀な学生が多い」というステレオタイプに基づいて採用を行います。このように、差別などの問題は、人の性質を単純化しすぎることによって起こることがあります。

ステレオタイプはよくない」という価値観は多くの人が持っていると思うのですが、そもそも人間が物事を単純化したがるのはなぜでしょうか。ステレオタイプのように物事を単純にするという考え方は、本来非常に役に立つものです。たとえば、会社で忘年会を企画するとします。参加人数は確定しておらず、一人当たりの費用も人数によって決まるとします。こういうとき、ひとまず参加者を20人と仮定して考えれば、だいたいの費用を算出することができます。このように、現実とは別に、物事を単純化することによって人間は思考を発展させることができます。

企業が学歴に基づいて採用を行うのも、そうすれば採用が簡単になるからです。企業は過去の経験から、「〇〇大学の出身者には優秀な学生が多い」という仮説をもっていて、それに基づいて採用をします。この方法は、一人一人を出身大学に関わらず評価するよりも断然楽です。企業からすれば、このような仮説は「データ」であると言うでしょう。客観的な事実に基づいて採用しているという方が、理にかなっているからです。

しかし、物事を単純化・一般化するということは、同時に現実の一部分を無視するということを意味します。「〇〇大学は優秀」という考えに基づく採用は、〇〇大学の優秀でない学生と他の大学の優秀な学生を見落としてしまいます。この「現実とのギャップ」が、現代の人々が問題とするところであり、人権や平等の理念が許さないところです。採用を便宜的にするためのこのような考えが、一部の人に特権を与え、一部の人を不利にしてしまうからです。ステレオタイプの問題点はここにあります。

今回議論したいことは、ステレオタイプをするという人間の傾向が、物事を楽に簡単に考えようという心理からくるものだということです。一口に差別はいけないとはいっても、差別をしてしまう原因となる心理を認識できていなければ、問題は解決しないからです。問題は、差別をする人たちにどうやって差別をやめさせるかではなく、自分たちの心にある差別の原因になる何かをどうやってコントロールするかです。そういうわけで、今回はあえてステレオタイプの問題ではなくメリットを考えました。普段あまり意識していないことに思考をめぐらすことは、視野を広げるために大いに有効ではないでしょうか。

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