就職難をどう捉えるか

どうもシャオムです。

ここ数年、新卒の就職市場はいわゆる「売り手市場」で、比較的就職がしやすい時代でした。しかし、コロナ禍は就職市場にも影響を及ぼし、新卒での就職が少し難しくなってきています。そんな中、国は、卒業後3年目までの人を新卒と同じ扱いで採用するよう企業に求める政策を行なっています。

https://www.google.co.jp/amp/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20201018/amp/k10012669741000.html

要するに新卒の対象を広げ、在学中に就職できなかった人を救済するための措置であるといえます。このような流れをどう捉えるかは人それぞれですが、学生からの視点では、新卒であることの価値が薄れ、より実力が評価されるようになってくると考えることができます。一方、国からすれば、新卒での就職率や失業率などが、経済の安定度を測る重要な数字となるので、今回のような支援策を講じるのは当然です。

しかし、このような政策は名目的な就職率を保つためには重要かもしれませんが、実質的に学生や企業のためになるかと言われればそうではないでしょう。企業は、政府の言う通りに新卒採用の対象を拡大したとしても、実際に採用するときに大卒1年目の学生だけをとることもできます。もし何らかの理由でそのような恣意的な選別ができなくなったとしても、1年に採用する人数が増えるわけではないので、根本的な解決にはならなそうです。

では、このような就職難の、より根本的な問題は何でしょうか。就職はいわば、売り手としての学生と買い手としての企業の間の交渉なので、売り手である学生はある意味で競争にさらされていることになります。みんなが仕事を得られる状態のときには、就職活動はあまり競争の色を帯びません。なぜなら、仕事の種類や就職先に優劣をつけるのは、良くないという風潮があるからです。みんなに仕事があるのだから、とりあえずOKということですね。しかし、就職難の経済では、競争が顕在化します。競争に「負けた」人は仕事が得られなくなるため、そのような人たちをどう救うのかが問題になります。つまり、このようないわゆる「負け組」を生んでしまう仕組みの問題を考えなくてはなりません。

なぜ就職できない人が生まれるかを考えると、それは1つには学歴の問題があるでしょう。今の時代でもなお、良い大学に行っていれば就職できるチャンスは多いといえます。ただ、これはあくまでシンプルな考え方です。就職できるかどうかにおいてもっと重要なことは、自分で仕事を取れる能力があるかどうかです。具体的には、仕事を作れる能力、任せてもらう能力、やりたい仕事を見つける能力です。誰でもどこかに就職できる状況では、この「仕事を取れる能力」がなくても、何社かの採用に応募すれば仕事を得ることができます。しかし、就職難においては、自分で仕事を取ることができない「受け身」の人は、たちまち就職できなくなってしまいます。こう考えると、たしかに就職できない人をどう支援するのかという短期的な視点も重要ですが、根本的には、若者の「仕事を取れる力」をどう伸ばしていくかが、社会全体の問題であることがわかります。それは、仕事への興味や、情熱や、仕事の尊さといった、働くことの本質に関わる問題だといえます。このような仕事への意識を高めることは、一般的には教育(職業教育やキャリア教育といわれるもの)の問題だと考えられています。もちろん教育の分野を含めて、社会全体で、若い人たちの「勤労」への意識を高める方法を考えていく必要があるのではないかと思います。

今回は、就職難という問題について、思うところを書いてみました。仕事を得るという問題に向き合う若い世代の1人として、またこれからの世代に関わる者として、考えを深めていきたいと思います。

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