「分けない」ことの良さ

どうもシャオムです。

今回は、「分けない」ことの良さというテーマで書いていこうと思います。「分ける」に属するのは、「分割」「分断」「分担」など。それに対立する考えは、「合わせる」「混ぜる」「結ぶ」「結合」などです。いろいろな場面で、「分ける」方の論理よりも「分けない」方の論理、すなわち「合わせる」方の論理が優れているという話をしていきます。

まず一般的に考えられる「分ける」ことの良さを考えましょう。社員全員でオフィスの掃除をしましょうとなったとき、掃除を始める前に決めるべきことがあります。それは、誰がどこを掃除するかという分担ですね。このように、分けるということは、それぞれが何をしたらよいかを明確にし、全体の効率や生産性を向上させます。

一方、「分ける」ことがネガティブなイメージを持つのは、どんな事柄についてでしょうか。たとえば、離婚なんかがそうですし、東西ドイツなど国家の分断もそうですね。人と人が分けられるということは、根本的には嬉しいことではありませんし、対立の原因にも結果にもなります。

一見すると、掃除の例と国家の分断はまったく関係がない話です。しかし、掃除の例からも、「分ける」ことがネガティブな意味を持つ可能性を考えることができます。それぞれの役割を分担するということは、当たり前ですが人と人の間に一定の境界線を引くということです。床を掃除する人と、キッチンを掃除する人とでは属性が違うわけです。もしも床を掃除する当番の人は永遠に床の掃除しかしないならば、彼らにはキッチン当番の人の気持ちはわからないかもしれません。このように、他の属性の人への想像力がはたらくかということが、一番重要な点です。「分ける」ことは社会を便利にするので、私たちは大いにそれを利用しますが、それと引き換えに他者への想像力を失っていることもまた確かです。

たとえば伝統的には、日本の社員は社内のさまざまな部署を渡り歩いていろいろな経験を積まされる一方、アメリカでは専門性に重きが置かれると言われます。世の中の流れ的には、それぞれが専門性を磨いて得意分野に集中できるよう、役割を分担していこうという方に向かっているかもしれません。貿易をすればお互いの国が必要なものを手に入れられるように、役割を分担すればそれだけ経済が豊かになり、生活は便利になります。しかし一方で、自分に関係がない物事について知る機会はなくなり、世界の人々がどんなことをしているのかわかりづらくなっていきます。

「分けない」ことは社会全体の中だけはなく、個人の生活においてもプラスの価値をもたらします。今度またそのことについて書こうと思います。

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