育てようとしてくる人のウザさについて

どうもシャオムです。

高校、大学時代の話なのですが、「育てようとしてくる先輩ウザいなあ」という気持ちをよく抱いていました。これはどういうことかと言うと、たとえば同じ部活の中で、後輩を育てようとして叱ったり、褒めたりする先輩がいるという話です。先輩・後輩という縦関係が割ときっちりしているという点では、日本特有のことかもしれません。とにかく今はそうでもないですが、当時はかなり鬱陶しがっていたので、その気持ちをちょっと書いてみます。

まず、たとえば親や学校の先生など、発達や実力の程度に照らして差があり、その立場から僕を育ててくれる人には何もネガティブな感情はありません。むしろそれは教育的愛情なのですから、感謝しています。問題は、たかが1年や2年学年やキャリアが違うだけで育てようとしてくる人です。彼らが僕を育てようとするのも、本当に僕のためを思っての行動であって、それもまた教育的愛情です。ただ、僕より1年先輩の人はシンプルに1年早いというだけで、僕にとってはそれ以上何もありません。これは、先輩として敬うという礼儀とはまったく別の問題です。もちろん、そういう先輩に感謝している人もいっぱいいて、その方が日本人として自然かもしれません。しかし僕にとっては、そういう人がまた良かれと思って後輩を育て始めるのかなあと思うと少し暗い気持ちになります。先輩から育てられて、僕のような感情を抱く人も割といるのではないかと思います。

ともあれ、僕は年長者を敬うという日本の心や、先輩が後輩を大事にするという風潮が好きです。ただ、少なくとも自分が人と接するときは、育てようではなく、人として大切にしようという真心を持っていきたいです。

f:id:honmadesukate:20200710151723j:plain