問いを立てる力をつけるには

どうもシャオムです。

よくある話だと思うのですが、社会人になっても勉強するのは大事だとか、人生勉強し続けることが大事だとかいうことについです。社会人にとっての「勉強」というと、資格のための勉強や、英会話、コンピュータ周りの知識など、なにかとスキル寄りな勉強を連想します。しかし、物事を深く捉えて人生をより豊かにするためには、スキルだけでなく、いわゆる「学問」を続けていかなければなりません。そのためには、読書が大切だということがよく言われますが、より本質的には、何が重要なのでしょうか。

一つの答えは、問いを立てることだと思っています。学ぶとは何かということについて記事を出したときに、学ぶとは「問い→思考→実験」というプロセスであると書きました。問いは学びの出発であり、問いがなければ考えるということもないといえます。もしも幅広い事柄に対して問いを立てることがなければ、自分に降りかかる問題ばかりに気がとられ、それを解決するのに汲々とするでしょう。良き市民として生きるためには、世の中で起こる出来事に関して問いを立てることが欠かせません。

私たちは、どうやって、問いを立てる力を身に付けているでしょうか。高校までの教育では、学び=テストのための勉強という面が強く、問いを立てるという段階の訓練はなかなか行われません。大学生にとっては、卒論を書くなど、自分で研究テーマを立てることが、良い訓練になります。こう考えても、問いを立てるという力を育てる仕組みは、現状の教育機関ではかなり脆弱と言わざるを得ません。

ならば、私たちはどうやって問いを立てる力をつければいいのでしょうか。僕にとって一番良い学びになっているのは、お分かりの通り、このブログを書くことです。毎日1つ問いを設定し、それについて書くことを繰り返しているうちに、物事のどこに問題があるのかを見極める視点は身に付いていきます。1つの記事を書くのに、ざっくりと①テーマを決める、②考える、③書くという3つの段階がありますが、この中で一番難しいのは間違いなく①のテーマを決めることであり、テーマさえ決めておけばあとはなんとかなるというのが正直なところです。それぐらい、問いを立てるということは、学びの中の重要な部分を占めています。違う角度から言えば、問いを立てるということが、一番主体的な行為であるといえます。自分が立てた問いであれば、自分で解決したいという態度になるからです。

僕が問いを立てて、記事のテーマを決める種になるのは、何か本を読んだときや、誰かと話していて着想を得たときです。なんでも考えるための問いになる、というアンテナを張っておくことは重要かもしれません。

今回は、問いを立てることの大切さをいま一度見直してみました。このブログでは、問いを立てるということを一番大事にしているので、その後の思考がそこまで深まらなかったときでも、記事に出すようにしています。時間が経ったときに、以前の記事で立てた問いへの思考が深まることも多いです。勉強への意識が高い人にとっては、問いを立てるというプロセスを意識してみるのも良いかもしれません。

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