大学入試は知識偏重か

どうもシャオムです。

昨日まで、大学入学共通テストが行われました。昨年までのセンター試験から変更されて初めての共通テストでした。僕はまだ詳しく問題を見ていないですが、その変更の趣旨は、知識だけでなく、問題発見能力や、思考力、判断力、表現力を重視するというものです。テストの全体的な雰囲気としては、とにかく問題文が長くなっているのではないかと思います。内容については別途確認していくとして、今回は、大学入試のあり方について少し考えてみたいと思います。

冒頭でも述べた通り、知識だけに偏るのではなく、総合的な力(「確かな学力」と呼ばれるもの)を調べるためのテストとして、共通テストが導入されました。たしかに、知識一辺倒ではなく、考える力や応用力がないと解けない試験にすれば、学生の対応も変わってくると思います。個人的には、センター試験ですらかなり精密に、素晴らしい試験が作られていたという感覚なのですが、それがより複雑になったとしても、より総合的な学力がはかれるのなら、共通テストの意義は大きいのではないかと思います。問題作成の大変さは問題ではあるでしょうが、テスト自体に大きな問題はないのではないかと思っています。

しかし、他方では、大学入試の選抜方法にも変化が見られ始めています。それは、「ポートフォリオ」といって、高校時代に取り組んださまざまな活動が、選考のために評価されるというものです。僕はこれがあまり好きではありません。なぜ好きではないかを説明して終わりましょう。

そもそも、高校までの勉強というのは、僕からすれば極端に受動的な勉強です。子どもたちは学びたいことを学んでいるのではなく、テストのための勉強や、進路のための勉強をやっています。これは、高校卒業以降で本格的な学びをするためにはある程度仕方がないことだと思っているのですが、本来であれば望ましいことではないはずです。子どもたちがテストのための勉強しかできない原因は、もちろん入試制度また学歴社会にあり、大学入学のために学力試験が課されている以上、なかなか解消される問題ではないでしょう。

しかし、これに加えて、ポートフォリオ評価のような、勉強以外の活動までを評価するような様式が普及すればどうなるでしょうか。「課外活動まで、入試のための活動になりはしないか」というのが、僕の懸念です。事実、多くの大学生は、就職活動の際には「ストーリー」などといって、自分の学生時代の中で就活に「使える」ものを精査してまとめるという作業をしています。これは有意義なことではありますが、一歩間違えると、就活のためだけの学生生活になりかねないのです。高校生が勉強だけでなく、課外活動にまで縛られる姿を見るのはかなりつらいものがあります。もっとのびのびと高校生活を送らせてあげられないものかと、しみじみ思っています。

今回の共通テストの評価がどのようになるか。また今後、大学入試がどのように変わっていくかを注意深く見ていきましょう。これらのテーマについては、また記事を書きたいと思います。

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