記録をとることについて(カナダでYouTubeをやっていた頃の話)

どうもシャオムです。

僕は2015年から16年にかけて、カナダのバンクーバーに留学していました。当時、何か自分の記録になるようにと思って、YouTubeに動画を投稿していました。今回は、当時の思い出を振り返りながら、記録を残すという作業について考えてみたいと思います。

当時、僕があげていた動画は、主にラジオ的なもので、その日に起きた出来事を新鮮なままの状態で話すということが中心でした。なぜ、ただ話すだけの動画を撮っていたのかと言うと、異国の地で日本語でコミュニケーションをとる相手があまりおらず、自分がしたことや感じたことを日本語で話す機会が少なかったからです。これを動画に残すことによって、日記のように記録として残しつつ、当時の自分にとって良いアウトプットになっていました。

その後、バンクーバーをぶらぶらして街の様子を映した動画など、いろいろな動画を撮り、全部で50〜60本はあげたのではないかと思います。このブログに比べれば、当時動画を見てくれていた人数はもっと少なく、YouTuberと呼べるだけの活動はしていませんでしたが、今思うと、留学の中でそれが一つの楽しみになっていました。

自分のための記録として一般的なのものには、日記があります。日本の古典にも○○日記と呼ばれる作品が多くあることからもわかるように、日記という文化は日本人にかなり定着しているものだと思います。僕も高校生のときに日記をつけていた時期がありましたが、とにかく面倒なのでやめてしまいました。僕は、自分以外にただの1人にも読まれないものを書く気にはそうなれませんでした。しかし、記録を残すことの面白さや意義はかなり感じており、日記以外のさまざまな方法で記録をとってきています。バンクーバーでのYouTubeがその最初ですが、このブログもある意味での記録ですし、旅行に行ったときには、どこで何が起きて何を感じたのかを細かく箇条書きで書いておくことが多いです。特に、その記録が誰かと共有できる思い出であるときには、それを見返すのが卒業文集のように楽しい時間になります。今では、もちろんスマホタブレットで日記を書けますし、書くのが苦手ならボイスメモでも残せます。記録をとること自体にどこまでの価値があるのかはわかりませんが、少なくとも僕には「おもしろさ」という価値があり、これからも何らかの形で記録を残していこうと思っています。

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