アウトプットの習慣は学びの指標

どうもシャオムです。

このブログの記事も200を超え、僕自身の中にある程度習慣やスタイルというものが確立されてきました。半年以上ブログを続けていれば、記事の執筆が捗る時期もあれば、なかなか書けない時期もあります。

思えば、自分の中で面白い記事が何本も書けるときは、もちろん学びの質が高いときです。新しい場所に行ったり、新しいことを始めたりすると、ちょっとしたことでも発見があり、そこから一つの記事ができます。また、何か本を読めば、そこから思考がスタートし、また次の本や資料を読んでは考えるという流れができます。自分が生活や仕事の中で、何か試しては失敗しているときも、経験から記事が書けることが多いです。いずれにしても、学びが活発なときほど、記事を書くのは簡単になります。

反対に、なかなか書くことが見つからなかったり、自分の中であまり納得した記事が書けなかったりするときは、大抵あまり学んでいません。こういうときは、昔の出来事を掘り返してそこから得たことを書くとか、自分の中にもともとあるもののシェアになってしまうことが多いです。また、思ったことについて書いても、あまり考えが深まっていないせいで、どうしても薄い記事になりがちです。そういうときは、アクセス数もあまり伸びないことが多いものです。

ブログを書く者として、というよりも学び続ける者として、もちろん、こういった「調子の悪い」時期は短い方が良いでしょう。日々新しいことを学んでいる状態こそ、僕の目指す生き方です。しかし、少し見方を変えれば、好不調の波があること自体が、ブログを毎日書くことの意味でもあります。自分の考えを外に出すことをせず、毎日をひたすら過ごしていれば、だんだん人生が面白くなくなってきても気づかないかもしれません。毎日何かを書いているからこそ、「ああ、最近あんまり学んでいないな」というのが自分で発見できます。そして、また前向きに、学びを再開していこうという風に気持ちを向けられるようになります。もちろんそう簡単に不調を抜け出せないこともありますが、少なくとも不調に気づくことは重要ですね。

このように、アウトプットを習慣づけることによって、自分の頭が活性化しているか、今何かを学んでいるかということを可視化することができます。アウトプット自体、学びにとって重要な要素ですが、実はそれは、学びそのものというよりも、学びの質を映し出すリトマス紙といえるかもしれません。もし、アウトプットの調子が悪く、不調に気づいたときは、アウトプット自体に問題があるのではありません。僕の場合なら、ブログの執筆が捗っていないときは、頑張ってブログを書こうとするのではなく、ふと自分以外の対象に意識をめぐらしたり、今までやったことのないことをやったりと、自分の頭をリフレッシュする方向へ向かうべきでしょう。みなさんも、アウトプットを有効に利用してみてください。

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