受動と能動

どうもシャオムです。

高校時代の思い出は何かと聞かれたら、どう答えるでしょうか。多くの人は、部活など、何か一生懸命打ち込んでいたことではないでしょうか。一方、高校生として全員に課せられている勉強というものは、思い出という感じではないかもしれません。中には、受験勉強にかなり力を入れ、それが自分の中で良い思い出になっている人もいると思います。

これは、ひとえにその活動が、受動的なものだったのか、能動的なものだったのかによる問題だと思われます。部活動は多くの場合、それがやりたい者どうしで集まり、互いに切磋琢磨し合いながら成長する機会となります。「やりたい」という能動的な動機で活動をしているので、活動そのものが楽しく、またときにしんどいことがあっても、乗り越えようとする気持ちがはたらきます。

一方、勉強は、全員に課せられたものなので、もちろん中にはやりたくない人もいます。これらの人にとっては、勉強は受動的なものなので、大した思い出にはなりませんし、何かの糧にもなりません。そんな中でも勉強に意味を見出し(親を喜ばせるため、良い学校に行くため、社会で活躍するためなど)、自発的に勉強するようになった人にとって、勉強も何らかの財産として残るでしょう。それくらい、能動的であるということは重要であり、パワーの源であると言えます。

社会人にとって、仕事をはじめ、生活の中のメインとなる活動が楽しい人もいれば、そうでない人もいます。それは、大いに、自分がその活動に対して能動的なのか、受動的なのかに依存しているのではないでしょうか。これは、仕事だから受動、趣味だから能動という風に、内容によって決まるものではありません。こう捉えれば仕事に能動的に取り組める、といったように、これは自分の捉え方で変わるものです。生きることそれ自体が能動であり、あらゆる活動が「したくてしている」状態になれば、何があっても悠々と、楽しく生きていけるのではないでしょうか。

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