学校は「教習所」か「路上」か

どうもシャオムです。

今回は、更新が遅れてしまったこともあって、手短に、学校が「教習所」なのか「路上」なのかという問題提起をしたいと思います。

前回の話の続きからいきましょう。男女共学と別学の違いに触れ、それぞれの環境が、子どもたちのジェンダー観にどのように影響するかを考えました。前回の議論に基づくと、もし性別にとらわれずに育ってほしいと考えるなら、子どもを別学制に入れたほうが良いという考え方ができます。しかし、共学と別学の議論は、もう一つの大きな問題を私たちに教えてくれます。

それは、「実社会には男女が入り混じっているという意味で、別学にはギャップがある」ということです。実際、男子校や女子校に通っていた子どもたちは、社会に出て何らかのギャップを感じることになるでしょう。

つまりこれは、学校を、守られた環境下で子どもたちを訓練する「教習所」での教習なのか、それとも実際の社会と同じような環境で実践的に学んでいく「路上」での教習なのかという問題に帰結します。これは共学・別学に限らず、学校を取り巻くあらゆる議論に関係のあることです。

路上での教習では、さまざまなトラブルが起こります。事故を起こすリスクもありますし、教官にも生徒にも、教習所のコースでは経験しない、臨機応変な対応が求められます。しかし、路上での実践経験を積まない限り、安全に車の運転ができる保証は得られません。

学校は、子どもたちをさまざまな問題から守ろうとするあまり、学校内だけで完結する学びの場となっているきらいがあります。問題は、子どもたちが、学校という守られた環境から、混沌とした実社会に出て行くまでの間の「路上教習」のステップを踏める仕組みがないということです。僕は現状、学校に路上教習までを求めるのは、非現実的だと思っています。ならば、学校はどこまでも子どもたちを守る機関として、その役割をまっとうしていくのが良いのではないでしょうか。私たちは路上教習の重要性をしっかりと認識し、教育の仕組みを考えていく必要があるのではないでしょうか。

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