小学3年生と人権について話したときのこと
どうもシャオムです。
先日、塾で考えさせられる出来事がありました。小学3年生の授業をしていたときのことです。こんな会話がありました。小3のAくんとBくん、そして僕の会話です。
小3A「先生が小学校のとき、人権総合学習発表会ってあった?」
僕「覚えてないけど、それらしいやつはあったかもしれん」
小3B「ふつうあるやろ」
僕「その発表会では何をしたん?」
A「紙に文を書いて、それを読む」
僕「それは全員書くん?」
A「そう」
僕「Aくんは何て書いたん?」
A「わすれた」
僕「忘れたんか。Bくんは?」
B「自分と友だち、みんなの・・・」(全部言ってたけど詳しく忘れた。)
僕「すごいやん」
A「人権総合学習発表会ってやる意味ないやろ」
僕「なんで?」
A「先生が考えたやつを、僕らは言わされてるだけ」
僕「先生が考えるのか。書いて発表するけど、本当はそうは思ってないん?」
A「まあ、思ってるかもしれん」
僕「思ってるんやったら意味あるんちゃう?Bくんは?」
B「わからん」
以上が会話の前半です。
学校で人権総合学習発表会なるものが行われ、2人は人権の標語らしきものを書いて発表したということでした。そして、Aくんが「発表会ってやる意味ない」と言ったので、僕は少し深掘りしたくなってしまったというわけです。
ポイントは、Aくんが自分から発表会の話を振ってきたことであって、つまりAくんは、人権に対して、あるいは発表会に対して、何らかの疑問を抱いています。
では、後半です。
僕「人権ってどういう意味?」
A「わからん」
B「人権は、えーっと、文を書いて言う」
僕「文を書いて言うのが人権?」
A「たぶんちがう」
僕「じんけんってどんな字?」
A「わからん」
僕(「人権」を漢字で書いてみせる)
A「習ってないから知らんかった」
僕「習ってないのか。この『権』っていう字は「権利」っていう意味やで」
A「なにそれ」
僕「権利って聞いたことある?」
B「ある」
僕「どういう意味?」
B「えーっと、なんて言ったらいいかわからん」
僕「たとえば、自習室を使う権利」ってどういう意味?」
A「自習室を使ってもいいっていうこと」
僕「そう!自習室を使ってもいいっていうこと。権利っていうのは、何かをしてもいいっていうこと。ほかには何がある?」
B「サッカーをしてもいい」
僕「そう。サッカーをしてもいい」
A「寝てもいい」
僕「そう。寝てもいい。どっちもけっこう大事な人権やと思う」
B「食べる権利」
僕「そう。そういうのはめっちゃ大事。だってちゃんと寝たり、ご飯を食べたりできない人って世の中にはいると思う?」
A「めっちゃいる」
僕「めっちゃいるんや」
B「うん。めっちゃいる」
僕「寝たり食べたりっていうのは、生きるために必要なことやから、人権っていうのは「生きる権利」ってことやと思うな」
A「そうなんや。それが人権なんや」
僕「たぶん発表会で書いたことっていうのは、自分も友だちも、おたがいの生きる権利を守ろうっていう意味やと思うで」
A「へえー。そうやったんか」
以上が会話の一部始終でした。
客観的に読むと、発表会を「やる意味がない」と言っていたAくんは、ちょっとひねくれた子だと思うかもしれません。しかし、僕の印象では、Aくんは子どもの中でもかなり純粋な方です。つまり、そんな純粋な子が「やる意味がない」と素直に思うような行事が、学校で行われているということです。
これは決して学校側に問題があるわけではありません。僕は子どもの感性や考え方というのは、その時代や社会の風潮を投影するものだと思っています。つまり、大人の間に、人権発表会のような形式的な行事をどこか他人事としてとらえ、しらけた雰囲気があれば、そういう空気はそのまま子どもたちにも表れてきます。根拠はありませんが、なんとなく僕はそういうものだと思っています。誰よりも僕自身が、そういう行事を「意味がない」と思ってしまうタイプです。だから、僕は彼らが行事に対して「意味がない」と思う気持ちがよくわかりますし、それがわずか9歳の少年であっても何ら不思議ではありません。
しかし、今回の会話を通してわかったことがあります。それは、彼らは人権の意味を説明できていませんし、行事にも主体的に取り組んでいる様子はありませんが、「権利」という概念を直観的には理解し、「世の中には人権が守られていない人がいる」という事実を聞かされて育っているということです。これは、ある意味ではとても重要なことです。人権という考え方をわかっていれば、相手が嫌がることをやってはいけないとか、相手の意見を聞くべきだとか、そういう態度が正しい態度であると認識できます。また、ルールが存在する理由や、人や社会のために奉仕するべきだという意味も理解することにつながるはずです。
今回の出来事から、何か結論を導き出そうというわけではありません。ともあれ、小学生の率直な話に耳を傾けると、こうもいろいろなことが見えてきます。それは、大人の私たちにとって非常に示唆的ですし、考えさせられることが多いです。彼らに感謝しつつ、まずは彼らの人権が守られるような社会を作っていかなければと思った次第です。