価値相対主義の限界

どうもシャオムです。

今年の最初に考えたいテーマは、価値相対主義です。一言で価値相対主義というと難しいですが、というか何を指すのかはっきりしませんが、できるだけざっくりと説明します。価値相対主義とは、この世に絶対的な価値というものはなく、それぞれの人や集団が、それぞれの価値基準に従って行動していくべきであるという考え方です。一方、絶対主義とは、絶対的な価値が存在し、すべての人がそれに従うべきであるという立場です。

たとえば、「人を殺すのは悪」というのは誰もが従っている絶対的な価値です。一方、「結婚した方が良い」というのは、人によってその価値の大きさが分かれることです。このようには、世の中には絶対的な価値もあれば、相対的な価値もあります。

いま、社会では価値相対主義的な風潮が強まっているのではないかと思っています。つまり、価値観は人それぞれだから、いろんな価値が認められるべきであるという流れです。

現代の社会で、絶対的な価値とはどのようなものかというと、一言で言うと「人権」なのではないかと思います。近代の政治の原則である人権が侵されるならば、それは良くないことだというのが、かなり多くの人に浸透している価値ではないでしょうか。実際に僕の周りの人たちも、「何をするかは自由だけど、人に迷惑をかけるのはダメ」という考え方を持っています。これは、他人の権利を脅かすことがなければ、あとはどんな価値にも優劣はないという思考につながります。人の価値観に口を出すべきでもなければ、自分の価値観を押し付けるべきでもないという考え方です。

しかし、このような相対主義の考え方は、ともすれば、善悪の判断や正邪の判断を棚に上げて、ただ周りに合わせて生きていけばよいという、消極的な態度を生みかねません。周りで起こる不正や非道に対しても、無関心で良いという考え方にもなりえます。今よりも多くの絶対的な価値観が浸透していた時代は、多様性はあまり認められず、生きづらさを感じていた人もいたでしょう。しかし、他人がプライバシーや個人の考えに干渉してくるということは、それだけ人のつながりが強力だったと言うことができます。考え方は人それぞれという相対主義が浸透した社会では、多くの人々が拠り所を失い、孤独を感じるかもしれません。

これからは、互いに干渉し合わないという消極的な面のみが強調されるのではなく、個々人が自分の信念を持ち、積極的に他の考え方の人とも協調し合っていくような「価値多元主義」の社会をつくっていかなければならないのではないでしょうか。価値相対主義と価値多元主義。これらの概念を、もう少し深掘りしていきたいと思います。

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