学校がするべき「しつけ」とは

どうもシャオムです。

学校の価値とは何でしょうか。学校は教育機関なので、その本質的な価値は教育をすることだといえます。では、教育とは具体的に何を言うかというのが問題になりますが、一番はじめにイメージするのは、やはり勉強を教えることではないでしょうか。学校イコール勉強をする場所というイメージが今でも強いです。

しかし、このブログでは以前から、学校の実質的な機能や価値に焦点を当てて、話をしてきました。たとえば、これからの先生に求められることの記事では、面倒を見ることが学校の大きな価値であることを書きました。同窓会の記事では、無差別に子どもが集まるという学校の特殊性について書きました。

そして今回は、実習を通して見えてきた学校の「しつけ」の価値を考えてみたいと思います。僕は以前から、学校は、大いにしつけをする場所だと思っていました。集団で行動するときにはみんなが同じことをするよう求められますし、勝手な行動をとると叱られます。学校で行われるしつけというと、僕のイメージは、このような集団行動を身に付けることでした。

しかし今回の実習中、新たに気づいたしつけがありました。それは、数学の授業でのことです。その授業では、生徒にホワイトボードを使って発表させる活動が行われていました。先生によると、「この授業では発表するときの立ち方や話し方、手の動かし方なども教える。最初は全然できないけど、教えているとできるようになる。そのうち何も言わなくてもみんな発表がうまくなるし、これは数学以外にも活きてくる」とのことでした。

僕はこの話を聞いて、ああこれはこれからの時代で意味のあるしつけだな、と思いました。僕が思っていたような集団行動のしつけは、どちらかというと時代には逆らっていて、ネガティブに捉えられることが多くなっています。なんでみんなが同じことしなきゃいけないんだという風潮ですね。しかし、発表する技術のしつけは、確実に子どもたちの人生で役に立つものです。今の時代に「発表の仕方なんて教えてどうするんだ」という人はいないでしょう。今はこのようなコミュニケーションに関するしつけが求められているのかもしれません。

いずれにしても、このように、ほかのどこでも教えられないけど学校でなら教えられるような物事は、ぜひ学校で教えるべきです。学校の最大の特徴は集団であることですが、社会全体が個人主義の方向へ向かうと、集団行動のしつけはいらないんじゃないかという風潮になってきます。それはそれとして、集団だからこそ教えられる「発表の技術」だったり「あいさつ」だったり、社会が変わっても必要になるだろうしつけはいろいろあります。しつけは教科のように、教えなければならないと明文化されるものではありません。しかし、たしかに学校でなされるしつけは、何らかの形で子どもたちのためになっていると思います。

 

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