僕が自分の「好きなこと」に気づいた日

どうもシャオムです。

教員として中間テストの準備に追われていたある日、僕は自分の人生に関するある一つの結論を得ました。それは、「自分はいったい何をするのが好きなのか」ということについてです。その経緯はこうです。

大学で教職課程を履修せず、大学を卒業してから「教員になろう」と思った僕は、「教えることが好き」という漠然とした感覚を持っていました。好きというよりも「楽」や「自然」という方がしっくりきていたかもしれません。なんとなく教員という仕事が自分に合っていそうだというイメージを持っていました。

免許取得のための2年間を経て、いざ学校で働き始めて1か月半。実際に日々仕事をする中で、教員の何が好きで何がおもしろいのか、気付いたのです。僕が仕事の中で楽しいと感じるのは、授業をしているとき、クラスにいるとき、教材やテストを作っているときです。一方、楽しくないと感じるのは、会議や研修、事務作業です。おそらく、普通の教員ならばみんなそうなのではないかと思います。人によって理由はさまざまでしょうが、僕の場合は「楽しい」と感じる一つの明らかな基準があります。それは、何かを「作ること」がとても好きだということです。

つまり学校の仕事の中でいえば、教材やテストを作ること。これらはある意味で「作品」であり、僕はこのような作品を作ることに興味があります。思い返すと、今まで遊びでやってきたのは、動画や曲を作ったり、小説を書いたり、ブログを書いたり。さらに子どもの頃に遡れば、工作をしたり、遊びやゲームのルールを考えたりすること。とにかく広い意味で「作る」ということが、僕がエネルギーを注ぎやすい対象であることがわかりました。

また、学校で大事なのは、授業を作ることやクラスを作ることです。これは言いかえれば、「場」を作ることではないかと思います。作品は自分1人で勝手に作れますが、「場」は1人では作れません。もちろん「場」は人が集まれば自然に生まれますが、それがもし何らかの目的をもった集まりであるならば、その目的を果たすため、場をコーディネートすることが必要になります。たとえば学校の授業では、「学ぶ」ことが目的ですが、教員が適当にやっていたのではもちろん学べるものも学ばなくなってしまいます。授業の管理者である教員が場を作ることによって、よりよい学びが達成されるのではないでしょうか。作品にしても、場にしても、「作ること」が自分にとって重要なことであるということが、学校での仕事を通して明らかになってきました。

おそらく、自分がこれから生きていきたい方法は、何か人が喜ぶものを作っていくということです。教員であるということは、必ずしも自分にとって本質的にやりたいことではないかもしれません。とにかく、今できることをやりながら、よりよい何かを作り続けていくための道をいけばいいのではないか。それが、自分にとってのキャリアと呼べるものなのかなと思います。

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