森会長事件から考えること2点

どうもシャオムです。

森会長(東京オリ・パラ組織委員会)の「女性が多い会議は時間がかかる」という発言に対し、国内外からの批判が殺到しています。今回は簡潔に、僕が感じたことを2点書いておこうと思います。

 

 

まず1つ目。森会長の発言は、絶対に見過ごしてはならない問題です。森会長の挨拶は、「これはテレビがあるからやりにくいんだか」と前置きしたうえで、例の問題発言に入っていくわけですが、森会長自身、「今の時代、そういうことを言うべきではない」と認識されています。そのうえで言うということは余計に問題なのであって、いわば、性差別的な発言をしてもいいような雰囲気を自ら作り出そうという意図さえ感じます。だから、現状のようにメディアから集中的に批判されてしかるべきです。

そして2つ目。森会長への批判の仕方をよく読んでみると、人によって角度が違います。これは以前「男女平等がなぜややこしいか」という記事でも書いたことになります。僕がこの発言を問題とみなしている理由は、彼の発言が、「女性」という属性に対する差別を含んでいるからです。つまり、女性という特定の集団に対して、「女性はおしゃべりだ」というレッテルを貼っているのですね。これは、人の個性や人格を軽んじるという、差別の典型的な構造なので、許されるものではないと考えます。

ただ、世の中でさまざま批判している人の発言を見てみると、「時代にそぐわない人は会長を辞めるべき」という主張があります。この論理でいくと、昔の社会だったら女性を差別しても問題ないということになりかねないので、批判としては本質から逸れています。

また、「女性がおしゃべりだという科学的根拠はない」という主張や、「女性のメンバーをもっと増やすべきだ」という主張も見受けられます。これらの批判は、女性差別というものへの反感からきているのではないかと思います。しかし、これらもまた、森会長の発言がなぜ問題なのかという本質には迫っていないのではないかと思います。会長という立場にありながら、差別的な発言をしてもよいという態度にこそ問題があると思います。ただ、女性差別に対する反感からくるさまざまな議論は、男女平等の世論を作っていくために重要なものだと思うので、それ自体、価値があるものではないでしょうか。

2つ目の話はかなり繊細な問題なので、人によって大きく考え方が異なると思います。「平等」という概念をどう考えるかという問題がかなり重要な点かと思いますので、関連記事も読んでみていただけると良いかと思います。

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