現代人は何を信じているか

どうもシャオムです。

前回、宗教とはなんなのかを考えました。そこでは、宗教の本質は「信じること」であり、人は誰でも何かを信じて生きているという点において、それは宗教的な生き方であるという話でした。そこで今回は、現代の多くの人々がどんなことを信じているのかを考えてみたいと思います。

僕がいろいろな歴史を読んでいる限り、それぞれの時代には、信じる対象のトレンドがあります。たとえば、太平洋戦争の時代には、お国のために死ぬということが美徳とされていました。また、軍事的に強くなることが、国として正しいことであると多くの人々に信じられていたのではないでしょうか。戦後には、高度経済成長期がおとずれ、お金を持っていることがとにかく是とされる、すなわち拝金主義的な傾向が今よりも強かったのではないかと思います。このように考えていくと、そのときそのときで、人々の信じていることは変わっていることがわかります。

では、昔の軍事力信仰、経済力信仰にとって代わっている、現代の「信仰」のトレンドは何でしょうか。いろいろな見方があると思いますが、僕は一つには、テクノロジーだと思っています。私たちは無意識のうちに、科学というものに一定の信頼を置いています。「現金を使わなくてもスマホ買い物ができるらしい。使ってみよう」などと言って、私たちはどんどん新しいテクノロジーを受け入れていきます。それはもちろん「便利だから使う」という当然の論理があるのですが、実はよく考えていくと、本当は必要ないのになんとなく使っていたり、人間や環境に与える負の側面を考えずに使っていたりすることがよくあります。これはつまり、科学が人間にどんな影響を与えるのかという問題を抜きにして、一方的に科学に追従しているといえます。これが僕が思う、「テクノロジー信仰」の内容です。

では、はたしてテクノロジーは、信じるに値するものでしょうか。いろいろな考え方があるでしょう。この問題に答えるためには、たとえば次のような問題を考えてみるとよいです。仮に医学が進歩して、人間が無限に生きられるようになったとするならば、私たちは生き続けるべきだろうか。テクノロジーへの信仰は、この問題を解決してくれません。テクノロジーは人間が生き続けるための技術や方法を提供しますが、人間がいかにいきるべきかという倫理観の部分に何も貢献しないからです。このように考えると、科学信仰の限界が見えてくるのではないでしょうか。

今回は、現代人をとりまく「テクノロジー信仰」という問題について考えてみました。もっともっと細かく見ていけば、不自然な「○○信仰」が世の中には存在していることでしょう。「宗教は阿片」との言葉どおり、誤った宗教は人間を不幸にするのではないかと思っています。この問題から目を背けられない時代がいよいよきているのではないでしょうか。

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