大学進学率の上昇をどう捉えるか

どうもシャオムです。

みなさんは、世の中に大卒の人は何割くらいいるか知っているでしょうか。文部科学省のデータ(令和元年度)によると、53.7%となっています。より詳しく言えば、学部に進むのが53.7%、短大が4.4%、専門学校が23.6%であり、高校卒業後、何かしらの高等教育期間に進む人の割合は、全部で82.6%になっています。

https://www.mext.go.jp/component/b_menu/other/__icsFiles/afieldfile/2019/08/08/1419592_1.pdf

大学進学率に関して、おもしろい分析があります。以前、ブロガーのちきりんさんがこんな記事を書いておられました。

つまり、昔は大学を卒業した人の割合が小さかったので、「大卒」のもつ経済的価値が大きかった。戦前であれば、大卒であれば政治や実業界を担うような役割を持つことができただろうし、戦後であっても、大卒なら大企業に入れたり、公務員になれたり、という風に、大卒という資格に価値があった。しかし、今は大卒の割合が大きすぎるので、大卒が必ずしも「良い」職業や「高い」収入につながらない。大体はこんな感じの議論ではないかと思います。

さて、僕の実感でも、ちきりんさんの言うように、大学を出ているということが仕事や収入を保証するという時代ではありません。今でさえ、将来のためには大学には行った方がいいという考え方は驚くほど根強く、それが真実であると言う人もいます。しかし、少なくとも、近い将来、大卒の価値はますます小さくなるでしょうし、大学の学位が何の助けにもならないという時代が来るかもしれません。

そこで、私たちが考えなければならないのは、大学や教育の本来の意義ではないでしょうか。大学はそもそも、学問を修めるための機関であり、教育機関です。経済社会で役に立つ人材をつくるための場所でもなければ、社会的地位を得るためのステップでもありません。そこに集った学生が、学問を通して教養を深め、人格を形成していくこと。そして、学問の成果を世に発信し、人類の発展に貢献することが大学の意義であるはずです。

そうであるなら、大学進学率が上昇するということは、より多くの人々が学問研鑽のステージに立ち、教養を深めることができるということです。これは、社会の発展のためには重要なことには違いなく、奨励されるべきことです。しかし、大学生の間に学問に励もうとする姿勢が薄ければ、「大卒には意味がない」という声が出てきてもおかしくないのも事実です。たしかに、経済的な価値はなくなっても、学ぶという本来の目的に照らせば、大学は依然として、本来の価値を持ち続けます。

このような本来の大学観を広めるためには、社会が学問の価値を正しく認識する必要があります。テクノロジーや医学、経営学など、「実用性がある」と言われる分野だけでなく、文学や音楽などの人文系や、社会科学の分野の価値を、認めなければなりません。「大学に行っても就職できなければ意味がない」というような、経済至上主義的な考え方を見直していきたいものです。

 

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