コミュニティの価値を考えよう

どうもシャオムです。

私たちはさまざまなコミュニティの中で生きています。多くの人にとってもっとも基本的な「家族」というコミュニティをはじめ、フォーマルなものからインフォーマルなものまであります。学校は子ども時代の大きなコミュニティであり、さらに細かくいえば、学年、学級や班などもあります。仕事を始めれば、会社や部署、その他仕事を通してできる人間関係がコミュニティとなるかもしれません。趣味を通して生まれるつながりも、コミュニティを形成します。今回は、そんなコミュニティが私たちにもたらすものを考えます。

私たちの人生にとって必要なものは何かを考えたとき、真っ先に浮かぶのは何でしょうか。ある人は、お金というでしょうか。お金は根本的に価値を持っているのか微妙なところなので、要するにお金を使えばさまざまな資源を手に入れられるという意味です。資源はたしかに重要で、生きるのに必要な食料も、さまざまな日用品も、贅沢品も、すべて資源です。一方、人生に必要なものは家族だとか、友だちだとか、恋人だとか言う人もいます。このような人たちは、自分自身が人とのつながりの中でこそ生かされていると実感しているのでしょう。これは、資源に対して、コミュニティという言葉でくくることができます。

コミュニティに価値があるのは、多くの人が認識している通りだと思います。しかし、現代は、人とのつながりが希薄な時代と言われます。新型コロナ以降、人と顔を合わせる機会はますます減り、緩やかに解体してしまうコミュニティも多いことでしょう。人と会う機会が減ったなあというのは多くの人の実感だと思いますが、実際のところどうなっているのかは見えにくいです。それは、いくらお金があるかとか、何を持っているかということは、数値で表しやすいものにに対して、人とのつながりというものは数値で表すのが非常に難しいものだからです。友だちが何人いるかを数えることはできますが、1人の人とどれだけ深く関わっているかはなかなか測れないからです。人とのつながりの希薄化が、社会問題として大々的に取り上げられて問題視されるということは、なかなかありません。数値で評価できないゆえ、何をどう対策していけばいいのかわかりにくいからでしょう。

しかし、コミュニティの減少は、確実にさまざまな問題を引き起こします。それは、社会システムが、今まで当たり前のように存在し、機能していたコミュニティを前提に成り立っているからです。たとえば、少子化の問題は、きっとコミュニティの減少と関係があります。昔は、子育てには何人もの家族や、地域のコミュニティが協力して行うという側面がありました。それに比べると、今はそのようなコミュニティが機能しているところは少なく、母親にかかる負担が大きくなっています。政治には、母親を財政的に支援したり、育休を取りやすくしたりする制度づくりが求められていますが、少子化の問題は根本的には、財政面というよりはコミュニティの変化に伴って大きくなってきたといえます。

人と人のつながりは、行政や、企業が資源を投下して、作ろうと思って作れるものではありません。人々が、自然発生的に形成していくものです。だからこそ、私たちはコミュニティの価値を正しく認識しなければなりません。それは、家族や友だちに感謝するということでしょうし、身近な人のために行動するということだと思います。

f:id:honmadesukate:20200710151723j:plain