先生になった日の話

どうもシャオムです。

ブログの更新頻度が下がっていますが、これからも細々と続けていこうと思っております。

さて、4月の頭から、中学校の教員として働くことになりました。すでに10日が過ぎ、初めての生徒の入学を迎えました。今回は、教員になったときの気持ちを書きとどめておこうと思います。

僕が教員になるにあたって、両親はそれぞれのアドバイスをくれました。というのも、彼らはもともと教師なのです。僕が教師になろうと思ったのは22歳のときですが、生まれ育ちから見れば、当然の選択といえるわけです。そんな、教師としての先輩でもある母親(今は退いている)からもらった指導は、「自分から教わらないといけない」ということでした。これにはいろいろな意味が含まれていると思いました。前提として、学校はビジネスではないため、1人の教師が足を引っ張っても数字の上での損害はない。だから、会社に比べれば、新人を育てる仕組みは充実していないということです。また、世の中の先生たちは忙しすぎて、後輩を教えている暇はないということでもあるかもしれません。いずれにしても、この10日間働いてみて、「自分から教わる」という姿勢はたしかに大事だなという気がします。

一方の父親は、僕がこれから学級運営をする上でのアドバイスをくれました。それは、叱ることの重要性です。僕は今まで、人を叱ったり、人に対して怒ったりしたことがほとんどありません。元来、周りの人に感情を動かされにくいタイプであり、自分が何かをされても「怒り」よりは「あきらめ」や「無関心」が先にくる方です。ましてや、自分に関係がないことについては、人が何をしようとどうでもよく、注意したり叱ったりしようという気にはならないようにできています。しかし、学校(教育ではなく)においては、叱ることがきわめて重要な意味を持ちます。なぜなら、教師が何に対して叱るかが、子どもたちの善悪や正邪についての基準になるからです。たとえば、教室で消しゴムを投げた生徒に「消しゴムを投げてはいけない」と言えば、そこにいる全員は「消しゴムを投げてはいけない」と思います。反対に、放っておけば、消しゴムを投げてもよいことになります。極端な話ですが、現状、学校という仕組みでは、教師の言動が大きく子どもたちの価値基準に影響を与えます。だから、叱ることは、叱ったその子だけでなく、全員に関わる大事(おおごと)なのです。

子どもたちがやってきて2日が過ぎました。これから、予測できないことが次々と巻き起こるに違いありません。この1年がどうなったとしても、僕にとっての最初の生徒となった彼らのことは、一生の記憶として残るでしょう。否、そうなるように関わっていかなければいけません。彼らが25歳になったとき、今の僕に対してどんな評価をするか。そんな空想をしているうちに、次の1週間が始まろうとしています。

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