Zoom大喜利を主催してみてわかった集団心理と民主主義の話

どうもシャオムです。

最近、高校や大学時代の友達とzoomで大喜利をして遊んでいます。

ふと、こんなことできないかなあと思ってお笑いが好きな友達(A)に声をかけてみたところ、予想以上に盛り上がり、計3回開催しました。遊び方はシンプルで、誰かが出したお題にそれぞれが答えを書いて出すというものです。こちらのグループはAさんのSNSへの投稿をきっかけにメンバーが増え続け、現在20人程度がいます。

ある日、大喜利メンバーの一人のインスタを見たまた別の友達(B)が、自分もやりたいとラインをくれました。その後、僕とBの共通の友達を誘い、5人でグループを結成しました。このグループではzoom以外にもライングループでお題を出し合い、おもしろかった答えを投票で選ぶところまでやっています。

 

さて、この2つのグループで同じ遊びをやってみて、組織の性質についてわかったことがあります。目新しいアイデアというよりは古典的な問題だと思いますが、改めて考えると難しかったので、一通り説明します。

Aのグループの事例

こちらのグループは、Aさんが次々とメンバーを増やしていった結果、大人数でわいわい遊ぶという感じのグループになりました。その反面、メンバーが増えるごとにライングループでの個々のレスポンスが鈍くなり、こちら主催者側が、メンバーそれぞれの意見や満足度がわからなくなってきました。

原因としては、人数が増えて人目が気になり発言しにくくなった結果、個人に対する質問や働きかけがしづらくなったことが考えられます。大人数での合意を形成する必要性から個々のプライベートへの配慮がより必要になり、配慮がいるくらいならわざわざ遊びをやる必要はないという風潮が出てきています。また、遊びに積極的に参加しにくくなったことにより皆が受動的になり、自ら遊びを作るという楽しみが減少傾向です。

Bのグループの事例

こちらは5人がそろってからずっと、全員が楽しみを享受できていることがよくわかります。

 少人数の中で、それぞれが遊びたいというモチベーションと自分の用事のバランスを保ちながら、スムーズに遊びを進められています。一人一人の忙しさや感情面への配慮がしやすく、同意が形成されやすい状態です。そして、メンバーがこの手の遊びに慣れていて、マナーやセンスをはじめから共有できていることも良くはたらいています。

 

分析

2つのグループを比較してみてわかることは、参加者が主体的になれるかどうかには、やはり数が大きく関わっているということです。規模の拡大は、組織の中に価値の売り手・買い手の構造を生み、運営側(売り手)に一定の権力や自尊心をもたらします。自分たちの楽しみを多くの人と共有できるというメリットもあります。その一方で、規模の拡大はメンバーの参加意識を低下させ、コミュニケーションが上意下達になります。このような大人数の組織は、その中にビジネス的な要素を含むモデルと言えます。

他方、享受したい価値が共通している少人数のグループでは、組織の自治に関してバランスがとれています。それぞれの意見が表明されやすくなっていて、議論が常に有機的に行われています。こちらは自分の希望を実現したいメンバーが自然に集まっているという点で、市民社会的なモデルと言えます。

 

いかがだったでしょうか。Bのグループの方に偏ったような論調になってしまいましたが、本当はどちらの仕組みも一長一短です。組織の特性を理解した上でコミュニケーションをとることで、無駄な不安や責任を感じることなく、組織に参加できるのではないでしょうか。

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