【英語教育】使わないのになぜ英語勉強しないといけないの?

どうもシャオムです。

 

今回は、英語学習の目的についてお話しようと思います。英語をどうやって勉強したかについては、以前非常にシンプルに書きました。

 

honmadesukate.hatenablog.com

 

中高時代に多くの人がぶつかる疑問の一つに「何のために英語勉強してるんだ」があります。これに対する中高時代の僕の答えは「テストのため」でしたが、ある程度英語を使えるようになった今、一般的に英語を学ぶ価値は何かを考えてみたいと思います。

 

まず、「英語を使わないのになぜ勉強しないといけないの?」という質問に答える前に、とりあえず一言。

 

使ってください。

 

一言断ったうえで、英語学習の目的を考えていきましょう。

英語学習の目的は、2つの視点から見た方がいいんじゃないかと思います。

1つは学問として。もう1つは、コミュケーションのツールとしてです。

学問としての英語学習とは何かというと、文法や語源や修辞学など、純粋に英語を学問としてとらえるということです。この場合、英語を学ぶ目的は、数学や化学や地理を学ぶ目的と同様に考えられます。学ぶこと自体が目的と言うこともできますし、それによって人文科学が発展する。もっと実用的に考えれば、言語としての英語を勉強することによって、他の言語を理解しやすくなったり、英語圏の文化を理解するたすけになったりといったことがあります。こういう目的がモチベーションになる人にとっては、英語学習は苦ではないはずです。

そして、もう1つの視点であるコミュニケーションツールとしての英語はどうか。教育の現場で英語学習が重視されるようになったのは、まぎれもなくこの目的を意識したからだと思います。国際化によって国内の経済社会が他国にさらされ、仕事で海外の人たちとコミュニケーションをとる能力が必要になってきました。

ただ、人生のほとんどの人間関係や情報が日本の中で完結する人にとっては、英語はいまだに不必要なもの(第二の目的だけを見れば無価値)です。こういう人は、英語を学ぶよりも先にやるべきことがあるでしょう。

しかし、社会のあらゆる問題に対処したり、そのために多様な情報にアクセスしたりするのに、英語はほぼ不可欠です。これは文部科学省とかもさんざん言っているでしょうが、その通りだと思います。

そして何より、僕が思う英語学習の一番大きな価値は、心を通わせられることです。共通の言語をもって話せば、単に意思疎通ができる以上に、相手の気持ちがわかり、こちらの気持ちも伝わります。これが、喜びや痛みを共有するための出発点だと思います。人工知能が自動翻訳をしてくれるようになっても、言語を通して心を通わせられるということの価値は薄れないはずです。自分で相手の言葉を理解してこそ実現できるコミュニケーションだからです。この意味で、僕はどんな言語を学ぶことにも大きな価値があると信じています。

 

自由主義の社会において、異なる他者への想像力の欠如が、様々な問題を招いています。英語や他の言語を学ぶことで、今まで知らなかった人々に想像力をはたらかせることができます。これはいまいちピンとはこないかもしれませんが、もっと強調されてよい、英語学習の価値ではないでしょうか。

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