【連載小説】『シェムリアップ』~5日目(後編)〈完〉~
最後の目的地であるタ・プロームの近くに着くと、ソニアは
「私はこの辺りで待ってるから、二人で見てきな」
と言った。アンコール・ワットからずっと遺跡を案内してくれた彼女は、暑さもあって少し疲れていたのかもしれない。
「ダダオ、じゃあ見学が終わったらまた連絡してね」
二人はソニアにお礼を言って、タ・プロームに向かった。少し歩くと、笛のアンサンブルのような音が聞こえてきた。
「あそこで笛吹いてますね」
ストリート・ミュージシャンである。遠くからでも透き通って聞こえるようであり、なお近くで聞いてもうるさすぎない音色が、タ・プロームの森林に広がっていた。演奏しているすぐそばで、子犬が曲に合わせて踊っているかに見えた。シャオムとダダオはその曲に歌詞をつけて遊びながら、遺跡を目指した。
タ・プロームは、シャオムが聞いていた通り、天空の城ラピュタの世界そっくりであった。一見するとバイヨンなどと同じような建物に見えるが、あちこちに木が上から覆いかぶさっていて、まるで建物と木が混ざり合っているかのようである。壁から木が突き出ているものもあれば、木の太い枝がずしりと屋根にのしかかっているものもある。遺跡をまとっている木々は、建物を腐食しているようにも見えるが、建物のバランスを支えているようにも見える。いずれにしてもシャオムは、このように人工物と自然が混ざったものを保存するのは大変だろうと思った。
「ここが一番静かで涼しいな」
ダダオもシャオムも、タ・プロームが一番気に入った。
「ちょっとごめんね、ちょっとここで写真を撮ってくれないか?」
二人は壮年に記念撮影を頼まれた。ダダオがシャッターを押すと、壮年は嬉しそうにお礼を行って、すぐにどこかに行ってしまった。旅人にもいろいろな人がいる。家族で来る人々もいれば、この壮年のように一人で旅する人もいる。旅で出会うものは、それぞれの人にとって異なる意味をもつだろう。あの壮年にとってタ・プロームとは?シャオムはそう思いながら、また遺跡を散歩した。
「そろそろ行くか」
時刻は午後1時を回っていた。シャオムは、旅の最後の日にアンコールの遺跡を巡ることができて満足であった。二人は駐車場に戻り、ソニアと待ち合わせた。
「おかえり!タ・プロームはどうだった?」
「一番気に入ったよ」
ソニアは予定していた通り、二人をトラベラーズ・ホームまで送ってくれた。二人はお礼としてソニアにいくらか手渡そうと思ったが、ソニアは「私たちは友達だ」と言って受け取らなかった。シャオムは、これはカンボジアの若者の、仲間を大切にする文化なのかもしれないと思った。二人がお礼を言うと、ソニアはジープに乗って爽やかに帰っていった。
二人は近くのインド・カレー屋で遅めの昼食をとり、少し街を散歩した。夜にマットらと会うまで時間があったので、初日からチャンスがあれば行ってみようと言っていたテンプル・カフェに行った。
「熱中症以外、完璧でしたね」
「まあ、治ってよかったよほんと」
二人はもう少しゆっくりしようと思っていたが、ダダオの元にマットから連絡が入ったので、思いのほか早く、夕食の場所に向かうことにした。
二人が町はずれの小さな飲食街に着くと、ほどなくしてマットがスクーターで現れた。ヘルメットが頭に収まっていない。
「待たせたね」
「いやそんなに待ってないよ」
アーロンも来ることになっていたが、少し遅れるとのことなので、三人はビールで乾杯した。
「アンコール・ワットはどうだった?」
「最高だったよ。ラベンダー・ジープにも乗れて。ありがとう」
話はいろいろなことに及んだ。今回の旅のこと、それぞれの将来のこと、アメリカや日本のことなど。
「ヘイ!遅くなったね」
アーロンは到着するなり、機嫌よくビールを飲み始めた。彼は皆に黙って、アリのサラダを注文した。シャオムを驚かそうとしたのである。
「このサラダ、うまいよ。食べてみな」
シャオムは、勧められる通りにサラダを口に運んだ。
「うわ、何これ、辛っ!」
「ようこそ、カンボジアへ!」
(『シェムリアップ』おわり)