【英語教育】単語を「名付けること」の重要性

どうもシャオムです。

4月から塾で英語の授業を担当していて、良い勉強法についてときどき考えていました。
中学生にも高校生にも当てはまることなのですが、英語がある程度できる人とできない人の1つの差は、英語を発音できているかだと気付きました。
たとえば、I am interested in cooking. という文を読んでみて、と言った時に、①普通に読める子、②interestedのところで詰まる子、③発音は間違っているけど適当に全部読んでみる子の3パターンがいます。
僕は単語や文法を教えている時、発音が正確じゃなくてもいいからとりあえず自分なりに読んでみろ、と言っています。
なぜならば、呼び方がわからないものはなかなか覚えられないからです。
たとえば、小説を読んでいるとします。しかしこの物語には、登場人物に名前がついていません。同じクラスのメンバーを、「ゲームが好きな日焼けした女の子」とか「おとなしくて運動神経の良い男の子」とか説明します。3人くらいまでなら識別できますが、だんだん増えてくると、わけがわからなくなってきます。だから普通こういう話には、木村くんとかカオリさんとか名前がついているはずです。
英語も同じで、自分の中でとりあえず呼び名がわかっているということが重要です。なんと読むかわからない文字をずっと見ていても、覚えたり理解したりする効率はかなり悪いです。interested を正しく発音できていなかったとしても、自分の中で「これはインテレステッドだ」などと呼び名があればいいのです。
 
ネイティブのアメリカ人やイギリス人に近い発音というのは存在して、それが正しい発音とされています。しかし、本来これが正解という発音はないはずです。僕が中国やラテンアメリカ出身の人と初めて英語で話した時、彼らの英語はとても聴き取りづらく、彼らも僕の英語を聴きづらそうでした。これは、どちらかの発音が悪いのではなく、単に発音が違うのです。同じネイティブの音を聞いていても、中国人と日本人では聞こえ方が違う。しかも同じ音を再生しようとしても、骨格などの発声のメカニズムがきっと違う。だから自分で再生してみると違うものになって出てくるのだと思います。
こう考えると、正しい発音ができていることよりも、一つ一つの単語を自分で名付けられていて、文を読める方が大事なのです。適当でもいいから読んでみるというのは、こういう考えからくるものです。

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