「メディアリテラシー」は単に騙されないことではない

どうもシャオムです。

芸能人の不倫が再びメディアを賑わせていますが、今回はメディアリテラシーの話をしようと思います。

 

メディアリテラシーというと、一般的には「ニュースを批判的に受け取る能力」ぐらいの意味で理解されているかなと思います。ニュースで切り取られている情報は実際起こっていることの一側面ですよ。メディアの情報は編集者による一定のバイアスがありますよ、といった意味ですね。それを心得た上で情報に接するのは、言うまでもなく大事なことです。

 

今回わざわざ記事を書いたのは、そこにもう一歩意味を付け足したいと思ったからです。僕が思うメディアリテラシーとは何か。それは、事件の背後、報道の背後にある仕組みに思考をめぐらすことです。

 

たとえば、芸能人の不倫の件。こういうスキャンダルに対する世間の態度は、ゴシップをエンタメとして享受する層と、人のプライベートに口を出すなと言って興味を持たない層の2つに分かれます。しかし、ニュースにおいて重要なのは、誰が得をして誰が損をしているのか、社会にとって何が問題なのかという点です。

この視点で不倫のニュースを見ると、いくつか問いが立ちます。

・この記事の情報を提供したのは誰で、そのインセンティブ(情報を提供するメリット)は何か。

・このニュースで儲けているのは誰か(=出版社)。経済的に損しているのは誰か(=テレビ局、スポンサー、芸能会社)。精神的にダメージを受けているのは誰か(不倫によってではなくこの件が世間で大きく話題になることによって)。

・不倫の記事が売れるのと、人間(大衆)の心理とはどういう関係があるか。

 

これらの問いを考えると、芸能人の不倫はある意味どうでもよい問題ではなくなってきます。社会の一部の人たちの間で利害や力関係が生まれ、芸能という仕組みの実体が見えてきます。私たちが享受しているエンタメが、どういう仕組みのうえに成り立っているかに関わっているのです。

 

そして、今回は何も不倫をテーマに語ろうというのではありません。もっと自分たちに関わってくるであろう、政治、経済その他のさまざまなニュースは、この仕組みを見る目を使って見なければなりません。仕組みから目をそらし、メディアが強調する憎悪や不満に踊らされることこそ、民主主義にとって最大の危険なのです。

 

少しでも気になった出来事について、その後ろにある仕組みについて考えてみませんか?

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