未来の教員に必要な能力

どうもシャオムです。

最近、今後の社会で学校がどう変わっていくんだろうなあと漠然と考えています。

その延長で、未来の先生に必要な能力について考えてみました。

 

まず前提として、学校という仕組みはとりあえずはなくならないだろう。そして、社会は学校よりも速いペースで変化し続けるということをベースに考えます。

 

学校の役割をここで確認しておきます。学校の役割はいろいろあると思いますが、とりあえず①勉強を教える役割、②子どものケアの役割、③集団生活の場としての役割の3つと考えて話を進めていきます。

 

情報があふれる時代において、今後意義が薄くなっていくのは、①の勉強を教える機能だと思います。今でさえYouTubeを見たら勉強できることからわかるように、今後、教師が知識を伝授するよりも子どもをやる気にさせたり学習を管理してあげる方が重要な役割になると思います。さらに、学びたい人と教える人がマッチされるようなもっと良い仕組みができれば、子どもは学びたいことを自由に学べるようになります。そして、今までは数学が必要だ、英語が必要だと言って教えられてきましたが、本当にそれは全員に必要か?という議論が増えてくると思います。そうなるとさらに、学校の先生が教科の専門家である必要は薄くなりますね。

(勉強を教える人と学習を管理する人を分けて専門化するのは果たして良い考えなのか、という問題については別途考えたいと思います。)

 

②の子どものケアの重要性は、高まるばかりだと思います。人権問題が語られて、個性を尊重しようという気運が高まれば高まるほど、学校でのマイノリティへの配慮やいじめへの対処はどんどん忙しくなります。今まで許されていたことが許されなくなるからですね。子ども一人一人の学習面、キャリア面への配慮をケアと考えれば、これら学校の福祉的役割は今後ますます大きくなると思います。

 

③の集団生活の場としての役割は一番複雑だと思っています。学校の特徴は、様々なバックグラウンドの子どもがランダムに集まっていることです。クラスにはまったく趣味が違う友達がいたり、どうしても理解しあえない人がいたり。今後、世間が、自分の好きなコミュニティで生きていけば良い、という風潮になると、学校のような「いろんな人と無理やり関わらないといけない環境」は、ある意味貴重なのかもしれません。ただ、この機能を維持するためには、多様性が尊重される風土、皆が意見を言いそれが受け入れられる民主的な風土が必要です。学校が存続する限り、教師にはこのような風土を作っていく役割が大きくなっていくと思います。

 

結論、仕組みが変化に追いついていない学校は、情報化と人権意識の高揚によって、ますます複雑になります。そこでは、子どもを見捨てないという福祉の側面と、多様な子子どもたちの間を調整する集団管理の側面が重要になってくると思います。教師という職業は、これら2つの役目を担う特殊な仕事になっていくのではないでしょうか。

 

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