「学ぶ」とは情報を得ることではない

どうもシャオムです。

このブログのテーマが「学び」なわけですが、僕らがいう学びの定義についてあまり書いていなかったので、考えていきたいと思います。

 

結論から言います。

学ぶとは、問いを立て、思考し、それを解決することです。

 

受験教育が批判される理由の一つに、「知識の詰め込み」があります。知識の詰め込みが批判される理由は、考える力が育たないからです。

たとえば、みかんの生産量が1位の都道府県は和歌山県であるとか。これを知識といい、ここでは「情報」と呼ぶことにしましょう。極端に言えば、情報をいくら得たところで、クイズ番組のためにしかなりません。それを社会で生かすためには、問いを立てて答えを出すという作業をしなくてはなりません。たとえば、和歌山県の観光客数を増やすにはどうすればよいか。さっきの情報と比べて、この問いは他のいろいろな物事と関係がありそうですよね。和歌山県の観光について考えることは、他の問題を考えるヒントになるかもしれません。このように、学びとは、問い→思考→結論の繰り返しだと思っています。

 

では、「みかんの生産量1位の都道府県は和歌山県である」という情報と、「和歌山県の観光客数を増やすには?」という問いの間には、どのような関係があるでしょうか。

和歌山県の観光客数をどうやって増やすか考えなさいと言われたときに、まず私たちは旅行会社の和歌山のプランを見たり和歌山県のホームページを読んだりして、どんな観光資源があるかを探します。そして、和歌山はみかんで有名だ、みかんの生産量が日本一だ、という情報を集めていきます。これらの材料を集めることで、観光客をどう増やすかという問いに取り組んでいくわけです。

つまり、情報というのは、問いを立てたり思考したりするのに必要な材料なのです。

 

学校教育では、「知識・技能」 と「思考力」が両方育てようとされています。しかし、受験という仕組みの中で、まだまだ知識に偏った教科指導が多いと感じます。授業の内容というよりも、生徒の学習の軸が受験から離れないのです。いよいよ「考える力」の方に重心を移す方法を、社会が考えていかなければならないと思います。

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