意見の発信をしているか?

どうもシャオムです。

「一億総発信時代」という言葉をよく聞きます。個人がSNSで自由に発信できるようになり、情報の供給が急激に増えてきました。今回はこの「発信」というテーマで、私たちは何を発信しているのかを考えていきましょう。

 

多くの人にとって一番身近な「発信」は、プライベートな出来事のシェアではないでしょうか。何をした、どこへ行ったなど、日常の出来事をシェアすることによって、直接連絡を取らなくても、友人たちはあなたが何をしているかを知ることができます。このようなプライベートな事柄の発信は、人間関係を円滑にするものだと思います。

 

「発信」の形態としてもう一つ重要なのが、考えや意見の発信です。これは単に何をした、どこへ行ったという情報以上に、発信者が「何者か」「どういう考えを持った人か」を色づけるものです。その意味ではこの、意見の発信の仕方について考えていくべきでしょう。

では、今、若い世代のほとんどがSNSを利用していますが、そのうち意見の発信をしている人はどのくらいいるでしょうか?僕の体感では、かなり少ない人数です。つまり、一億総発信のうちのかなり多くは、意見を発信していないかもしれないのです。

なぜでしょうか。「SNS」はほとんど枕詞のように「炎上」「叩く」という言葉とセットで使われています。人々は自分の発言が炎上しないかどうか、フォロワーの反発を買わないかどうかを常に意識しています。その結果、もちろん発言できる内容は限られてきます。長文を打つときには、常に誰かを傷つけていないかを確認しなければなりません。そしてもっと重要なことには、実際には誰からも反応がなくても、見ているフォロワーはネガティブに受け取っているかもしれない、というリスクが全員の頭を支配しています。反発を買いたくないという気持ちが抑止力となり、1億人分の意見の発信を鈍らせています。社会的に立場がある人ほど、SNSで変なことをしてはいけないという意識が強まり、意見の発信がしにくくなっています。

そんな中、SNSで自分の考えや意見を発信する人は、多くの利益を得ていると思います。何よりも、フォロワーの反応を見ることによって、自分の考えを試すことができます。自分の発信に対して受け取る周りの反応が、次の学びや行動へと向かうきっかけになります。発信することによって少々叩かれていたとしても、誰も傷つけていない限りそれはプラスの価値を持ちます。なぜなら、自分の考えに対する世間の否定的な意見を知ることができるからです。意見を言いにくい風潮の中で意見を言える人は、当然ながら利益を得ることになるのです。

僕がこのブログを書いているのも、自分の意見を試し、共感してくれる仲間を増やすためです。書きたいことはすべてこっちに書き、SNSにはリンクのみをシェアしています。それは文字数の関係と、やはり直接皆の目につくところに投稿するのは気が引けるからです。タイムライン型のSNSは、どうしても見る必要のない情報が入ってきてしまいます。これは見る側にも見られる側にもメリットがないので、僕の記事を読みたい人が読みたいときだけブログに飛んで見てくれればいいなと思っています。

 

ともあれ、いつも記事を読んでくださりありがとうございます。今回は意見の発信について、思うところを書いてみました。僕はこれからも、ここででさまざま発信していきたいと思います。

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