今必要なメディアリテラシーとは

どうもシャオムです。

以前、「『メディアリテラシー』とは単に騙されないことではない」という記事で、情報の背後にある仕組みに思考をめぐらす重要性を書きました。

今回はその延長で、私たちに最も必要なメディアリテラシーを具体的に考えてみたいと思います。結局何に気をつけたらいいの?という話ですね。

僕がとっていた教職関連の授業で、情報教育をどうするかという問題が取り上げられました。情報をいかに収集し、いかに活用するかですね。情報収集、情報活用に関して、若い人たちの傾向がどうなっているのかなあと考えていると、一つ思い当たることがありました。それは、私たちに届く情報が限定されてきているという事実です。

若い人たちの情報収集のしかたの一つに、インターネットがあります。ネット上の記事、動画、SNSなどからの情報収集です。もともと、これらはその質において、伝統的な新聞やテレビより劣るということはないはずです。新聞に掲載されているであろう情報を、ネットニュースから取り入れれば済むからです。新聞社がオンラインで記事を公開しているのですから、紙の新聞を読むのと大差はないはずです。

しかし、新聞やテレビから得る情報と、ネットからの情報には大きな違いがあります。それは、ネットメディアでは、自分が興味のあるものが優先的に表示されるということです。もちろん、私たちがニュースサイトを見に行ってトップに上がっている情報は、誰にとっても重要なニュースを除けば、あとは自分の好きな記事が並んでいます。私たち一人ひとりのトップページに出る記事は、私たちの好みや習慣を学んだAIによって組み立てられているからです。このことを踏まえると、私たちがネットから得る情報はどうしても偏ってきます。自分ではあらゆるニュースを追っているつもりでも、どうしても自分に親しみのある分野の情報の割合が大きくなります。

一方、新聞やテレビなどの伝統的なメディアの情報は、本来あらゆる人を対象に構成されています。新聞を1面から終わりまですべて読めば、少なくとも新聞社の思う、この日に知るべき情報はすべて収集できることになります。「現代の若者には教養がない」ということはたまに聞きますが、それは昔の人の方が賢かったとかいう問題ではなく、情報収集の習慣として、昔の人の方が広い分野に触れていたということです。現代の若者は、賢くないというよりも、好みや専門性に特化する傾向にあるというだけです。

以上を踏まえると、今必要なメディアリテラシーとは、自分に届く情報の偏りを認識することです。そのうえで、新聞を読んだり、SNSでフォローする人を多様にするなど、得る情報の質を高めることが大切だろうと思います。

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